配属され与えられたデスクで、ひらめが入社に関わる手続きの書類の作成をしていた。
(あ〜めんどくさい・・・)
同じような書類に目を通し、うんざりしていると先輩に声をかけられた。
「永井くん。いい? これ参加だって」
「なんすか?」
「社会人のマナー研修だって。その頭・・・。恰好の餌食だな」
「・・・」
ひらめは、教育係の先輩から、明日より行われる『新人マナー研修』の案内を受け取る。
(う〜。憂鬱でしかない・・・)
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翌日。
朝早くから会社の保養所に向かう。ここにグループ会社の新人が集められ、研修が行われる。
ひらめは、集合時間より早く最寄りの駅に着き、缶コーヒーを飲みながらタバコに火をつける。
(こいつらも、同じ研修を受けるのかな・・・)
スーツに着られている若者の集団を見つけ、前髪の隙間から観察をする。しかし、相手は目を合わせようとしない。
(いいけどね。お前らとは仲良くしてあげない)
内心、強がっているが本当は仲間が欲しい・・・。
地図を見ながら、研修会場へと着くと同じような格好をして、同じように緊張した面持ちの人間が集まっていた。
お互いを牽制し合い、自分に有利なポジションを模索する微妙な空気の中、研修が始まった。
周りの人間とは明らかに違う見た目のひらめは、突き刺さる視線を感じていた。気づいているが、知らない顔をして落書きに没頭する。
「社会人として相手に不快な思いをさせないような服装、髪型を心がけましょう」
銀行から派遣されたマナー研修の講師の視線がひらめを突き刺す。社会人らしからぬ金髪頭は、研修室中の視線を集める。
(この研修は、俺に対する当て付けだね。間違いない・・・)
「え〜と、永井くん? かな?」
「はい。分かってます。頭っすよね? 信じてもらおうとは思いますせんが、朝起きたら、こんな色になっていたんです。マジな話。故意ではなく事故です。社会人としてのプレッシャーというか、慣れない事ばかりで・・・。人一倍繊細な僕は」
「社会人として、恥ずかしくないようにしましょうね」
言い訳に被せるように講師の女性が声をかける。ひらめは小声でささやいた。
「別に恥ずかしくないし・・・」
「何か言いました?」
「何も言ってません」
ひらめは社会人になり、自分が普通だと思っていたことが、普通じゃなかったことに気づいた。
これまでの人生で形成された価値観である『目立つことが正義』という生き方は普通ではなかった。目立たないように生きる人間が普通で、目立つ人間は排他される。そんな社会の常識を知った。
社会人になると学生時代の常識、これまでの人生が否定されている気がして悶々としている男の気持ちに関係なく、研修は進んでいく。
「次は一分間で自己紹介をしましょう。相手に覚えて貰えるような印象的なスピーチをしましょう」
順番に自己紹介がはじまった。同じような人間が機械的に席を立ち、前に出て同じような自己紹介をしている。
(みんな一緒で印象的な自己紹介じゃねーじゃん・・・)
ひらめの番がやってきた。ひらめは登壇すると前髪の隙間からマジマジと大人しく座っている同期を観察をする。同じような格好をし、同じような表情を浮かべる人たちを見て、内心ウンザリした。
「・・・永井です。配属はシステム部です。午前中も指摘された通り、社会人としての自覚が足りていません。ですが、これからは社会人として地に足をつけ、真面目に、堅実に生きていこうと考えています・・・。えー。後は・・・。僕は高校、大学時代は、誰からも名前で呼ばれたことがありません。ずっとあだ名の『ひらめ』と呼ばれていました。社会人になり『ひらめ』と呼ばれることがなくなるので、徐々に学生気分が抜ける気がしてます。これから、よろしくお願いします。以上です」
席に戻ると前席の女子が振り返り、声をかけてくる。
「・・・ねえ。永井くん」
「なに?」
「私、鈴木恭子。よろしく」
「うん。よろしく」
「なんで『ひらめ』なの?」
「話すと長くなる。後で教えるよ」
「うん」
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研修の休憩時間。
ひらめは誰とも話せず、ひとりで喫煙所に向かう。
研修所の庭にある喫煙所では、何人かの男子がタバコを吸っていた。ひらめは、髪の毛をかき分けながら周りの男子たちに視線を送る。誰も目を合わせようとしない。
(俺のサラリーマン人生は終わったな。このまま友達ができないまま、つまらない人生を送るんだ・・・)
ひとり、不貞腐されてタバコを吸う、ひらめの元に賑にぎやかな女子集団が近づいてきた。
「ひらめくん! 探したよ」
「ああ、恭子ちゃんだっけ?」
「うん。よろしく! なんで『ひらめ』なのさ?」
「『じゃりんこチエ』のヒラメちゃん」
「どういうこと?」
ひらめは『ひらめ』の由来を恭子たちに説明しながら研修室に戻る。
静かだった研修室に恭子たちの笑い声が響いた。
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