人間の欲望を「下劣なもの」とみなす見方は古くからありますが、実際には欲望こそが、僕たちの生存と発展の原動力です。

欲望が?!
身体の内部から湧き上がる飢えや性欲、好奇心は、単なる感情ではなく、栄養を得て子孫を残すための信号です。

行動の原動力である
食べ物を求め、伴侶を探し、未知の環境に挑む行動は、欲望があるからこそ生まれます。進化の過程でも、欲望が弱ければ生存競争に敗れ、強ければ繁栄する・・・つまり欲望は生命を動かすエネルギーそのものだったのです。
また、歴史を振り返ると、欲望は文明を前進させる力でした。交易や技術の発展、芸術の創造、政治の変革・・・いずれも人々が「より良く生きたい」「富や名声を得たい」と思った心から生まれた行動です。中世の商業都市や遠い海への探検も、金銭的利益や未知への好奇心といった欲望があったからこそ可能になったのです。

確かに・・・
人間が社会を形作る過程においても、欲望は欠かせない役割を果たしてきました。食物や道具、社会的地位を求める心は、協力や競争の中で知識や技術を伝えるきっかけになりました。欲望がなければ、集団は環境に適応する力も、学びの機会も失っていたでしょう。

文化の発展に寄与した
さらに、人は未来の利益や損得を予測して行動を調整する能力を持っています。このときの欲望は、単なる快楽追求ではなく、情報を処理し資源を最適に使うための心理的なエネルギーです。無欲では判断が鈍り、生活や繁栄の機会を逃すことになります。
こうして見れば、欲望は決して下劣なものではありません。生命を維持し、社会を発展させ、個人の学びや意思決定を支える不可欠な力なのです。欲望を否定するのではなく、理解し、健全に活用することこそ、人間らしい生き方を最大限に輝かせる道だと言えるでしょう。

そうだね!!
そして、この視点から考えると、僕が性的な欲望を持つことも、また自然なことだと言えます。性的な関心や好奇心は、生命をつなぐ本能の一部であり、進化の過程で生存と繁栄を支えてきた心のエネルギーのひとつです。言い換えれば、これは単なる「快楽の追求」ではなく、自分自身や他者との関係性を理解し、生命の営みを実感するための自然な動きです。

いい訳ではない
だからこそ、僕がすけべであることも、恥じるべき下劣さではなく、生命の活力を示す一面として捉えることができます。欲望は人を動かし、学びや創造の力に変わるように、性的な関心もまた、自分の生きる力を確認し、社会や関係の中で自然に表現されるエネルギーなのです。
もちろん、欲望は常に自分や他者への配慮とセットであるべきですが、それを意識しながら楽しむならば、「生きるエネルギー」のひとつとして堂々と肯定できる・・・はずです。

・・・変態の言い訳
最後に伝えたいのは、同じスケベなら堂々とスケベを公表し、スケベを認めて貰おうじゃありませんか。
裏でこそこそするのは、僕の性に合いません。というか、そっちの方がキモい・・・と僕は思います。
(了)
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