僕は「正しいこと=正義」だと信じていた時期がありました。でも、社会で生きていくうちに、どうやら、そう単純な話ではないのではない。ということに気づいてしまいました。
現代社会、特に日本では「多くの人が賛同していること」が正義とされる傾向が非常に強い。SNSやメディアを通じて形成される多数派が正義という雰囲気が、あらゆることの判断基準になってしまっているのです。
つまり、みんなが「そうだよね」と頷く意見が正しいとされ、たとえ、論理的に間違っていても、多数派が正義で、多数派に逆らうことは「悪」と見なされる。そんな息苦しい空気が、僕たちの首をじわじわと締めて来ます。
もちろん、民主主義は大切です。僕はそれを否定するつもりはありません。しかし、現代日本で行われている多数決は『建前としての民主主義に過ぎないのではないか』と疑問を抱かずにはいられません。
本来、正義とは「弱きを助け、強きをくじく」ものです。ところが現実は逆です。真逆です。権力や影響力を持つ人が「こうだ」と言えば、それが世間の空気となり、それに逆らう人は厄介者として扱われる・・・。
少し前のことですが、職場で上司の方針に疑問を感じ、「それは違うでしょ?」と意見を述べたことがあります。その結果、僕は見事に「空気が読めない人」というレッテルを貼られました。
正直、そのときはとても落ち込みました。しかし同時に、僕の中に奇妙な熱がふつふつと湧いてきたのです。
それから僕は「多数派が正義」を前提に、どこか冷めた目を向けるようになりました。もしこの社会で、少数派と知りながら、本当に正しいことをする人が「悪」とされるのなら、僕は喜んで悪になろうと決めました。
誰かの顔色を伺って空気に従うよりも、自分の信念に従って行動したい。自分が「おかしい」と感じたことには、きちんと「おかしい」と言える人間でありたい。
それは、たとえばSNSで流れてくる「正しさ」に少し疑問を持ったり、社会の中で「これって本当に意味があるのかな?」と考えたりすることです。小さな違和感の積み重ねですが、そこに真剣に向き合うことで、世界が少しでも良い方向に向かうのではないかと思っています。
日本社会には昔から「空気を読む」文化があります。僕も内向的な性格なので、その空気を完全に無視できるわけではありません。むしろ、場の空気を敏感に感じ取ってしまう方です。
そして、僕からみた現代は、誰かが間違ったことをしていても、空気を読んで指摘できない。みんな見て見ぬふりをして、流されていく。その結果生まれるのは「納得はしていないけど、仕方ない」という諦めの空気が満ちた社会です。
これは、江戸時代の「村八分」と本質的には変わりません。ただその形がデジタルに進化し、今のSNS社会に溶け込んでいるだけです。
多数決に流されるのは簡単です。何も考えずに主流の意見に乗っていれば、面倒なことには巻き込まれないから。しかし、そのラクさに甘んじていると、僕たちの中にある「これはおかしい」という感覚が、どんどん鈍くなっていく・・・。
だから僕は、少数派の側に立つ覚悟を決めました。もちろん、孤独を感じることもありますし、冷たい視線を浴びることもあります。それでも、自分の良心に従って行動することこそが、現代社会における新しいヒーロー像だと信じています。
現代の日本は、格差がじわじわと広がっています。しかし、表面上は「なんとなく平和」が保たれているように見えます。
それこそが、空気がうまく機能している証拠かもしれません。
誰も騒がない。声を上げない。しかしその裏側で、不利益を被っている人や、声を奪われている人がいる。目には見えにくいだけで、社会の根っこがゆっくりと腐り始めているのです。
空気を読まずに行動すれば、人間関係はこじれ、面倒なことが増えるでしょう。でも、その「非効率」の中にしか、変化の芽は生まれない。みんなが「これでいいよね」と見過ごしている小さな不正や理不尽に対して、たった一人でも「いや、それって違うんじゃない?」と声を上げること。それは、社会を少しずつ変えるために必要な「悪役の勇気」だと、僕は思う。
漫画や映画に出てくるヒーローは、華やかで格好いいものです。でも、僕が目指すヒーローは、もっと地味で現実的です。
誰かが困っているときに、そっと手を差し伸べる。理不尽なことに対して「それは間違っている」と声をあげる。
そういった行動は、派手ではありませんし、誰も拍手をしてくれないかもしれません。むしろ「どうしてそんな面倒なことに首を突っ込むんだ?」と呆れられることの方が多いと思う。それでも、僕にとってのヒーローとは、そういう存在なのです。
時代遅れだと笑われても、報われなくても、自分の信念を貫く人。
結局、正義とは多数派のものでも、声の大きい人たちのものではありません。それは、自分の中にある「小さな違和感」にどれだけ気づけるか。そして、その違和感を放置せずに、行動に移せるかどうか。
現代の日本社会は、形式的には民主主義でも、実質的には封建的な構造が根強く残っています。だからこそ、僕たち一人ひとりが「空気」に抗い、「正しいと思うこと」を選ぶ勇気を持たなければなりません。
例え、それが世間から「悪」と見なされても。
あなたが感じている違和感は、きっとあなただけのものではありません。しかし、誰かが最初に言葉にしなければ、その違和感は埋もれたままになってしまいます。
だからこそ、僕は悪になります。それが、本当の意味での正義だと信じているから。
(了)
コメント