いつの間にか、空気を読まないと白い目で見られるような世の中になってきた。と言うか、ずっと昔から、そうだったのかもしれない。だけど、僕が育った昭和の終わり、平成の初め頃までは、空気を読まなくても、周りに人が集まってくれてた。
君、空気読めないもんね
空気は読むものではなく、吸うものなんだよ
僕は空気が読めません。読みたくもない。空気は生きるために吸うものであって、読むものじゃない。特に関東ではね。なんか京都とかは昔から空気を読む文化らしい。空気が読めない人は「野暮だ、何だ」と言われるみたいですよね。
僕は「野暮」でいい。空気なんて読みたくない。
リアルな世界でも空気を読まなんだけど、空気を読まないのがキャラとして定着すると空気を読む必要がなくなる。やっぱりキャラって大事。
空気を読まない、読めないキャラとして確立されているので、何があっても動じない。賢者なのか、愚者なのか分からないけど空気を読まずに、生きるのが楽しいのだ。
空気を読む必要はない
みんなが読んでいる空気なんて読む必要はない。言いたいことは言った方が、精神的にも良いし、建設的な組織にもなる。
もちろん、好き勝手に言いたいことを言ってると叩かれるかもしれないし、何も知らないアホだと思われる確率も高い。でも、誰かの考えじゃなくて、自分の意見を言える人は嫌われない。
ただ、嘘はつかないし、誰も傷つけないようには気を使っている。ちょっとは空気を読んでいる。
内心は「みんな、言いたいことを言おうぜっ。俺が先陣を切るからついて来い」みたいな。誰も言いにくいけど、言いたいことを言っているつもりです。
なんか、カッコいいでしょ
まあ、取らなくて良いリスクを自ら取りに行っているので、ある意味、バカなんだけど、それでも良いのです。
空気を読み合うなんてクソ、つまんない。
後でコソコソ文句を言うくらいなら、目の前でぶちまけて、玉砕した方が良い。「俺の生き様を見ろっ!!」って心意気。
僕って漢。男の中の男(自画自賛)
なんかさ、暗黙のルールというか「これ、言ったらマズい?」なんて考える必要はなくて、自分の価値観を大事に生きる方がカッコいい。
価値観をさらけ出して生きているとそれ程、嫌われない。ごめん、嘘。
嫌われるよ。嫌われるけど、可愛がってくれる人も同じくらい存在する。それで良いのだ。
みんなから、好かれる必要なんてない。
空気は読まない
みんなで空気を読もうとするから「忖度しないといけない」なんて思うバカが出てくるし「きっとこう言うことなんだろうな」なんて聞き分けのある良い子ちゃん風にして、勘違いするバカが増える。
ストレートに言葉をぶつけりゃ良いのに「こんなことを言ったらバカにされる」とか「相手にどう思われるんだろう」なんて余計なことを考える。
そんなのムダなストレス。
現代人はストレスを溜めすぎ。僕なんて思ったことをすぐに口にしちゃうもんね。
あははは、だから嫌われてるんだ〜
言うな・・・
そして、そんなキャラだと思われているから「ちょっと、コレ言ってよ」なんて頼りにされる。言ったところで変わらないかもしれない。だけど、誰かのどっかに僕の言葉が引っかかってくれれば、それだけでOK。
問題児だと思うよ。社会に適合できてない。でも、それで良いんですよ。
「空気を読めないけど、なんか言っていることは正しいんだよね」ってキャラが最高なんです。本音で話さないと味方も敵もできない。
空気を読む必要はない
空気を読むということは、誰かの欲望を満たすこと。自分のためではなく、誰かのために生きていることなんです。
みんなが空気を読んで生活をしていると間違った価値観でも正しいと勘違いしてしまう。
みんなが空気を読みあっていると何も変わらずに現状維持をするのが精一杯。下手をすると衰退してしまう。
もし、何かを変えたいのであれば、空気を読まず発言する必要があるのだ。一番無責任なのは、空気を読んで何もしないこと。
嫌われようが、否定されようが言いたいことを言った方が良いのだ。
この世は「欲望」と「感情」にまみれた魑魅魍魎の世界。僕は。他人の欲望や感情に負けず、自由を手に入れたいので空気を読まない。
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