朝の通勤電車で、隣に座った女子のほんのり香る香水や髪の艶に、ふと心がざわめく――そんな何気ない瞬間、僕は何かを「感じる」ことがあります。

出たな、変態・・・
しかし、それは決して目に見えるものだけではありません。日本人の奥ゆかしい所作やしぐさ、言葉に隠れた含みが、心に深く残る官能を作り出しています。

なぜか興奮する・・・
欧米のように大胆に表現するのではなく、ほんのわずかな動きや、見せないことによって想像力を刺激する。例えば、着物の襟から覗くうなじ、障子越しに見える人影、そっと揺れる髪の毛――こうした些細な仕草が、僕たちの心をかすかに震わせるのです。日本のエロティズムは、こうした隠されたものにこそ宿る・・・。
日本文化の根底には、感情や欲望をあからさまに示さず、間接的に伝える「奥ゆかしさ」の美学が息づいています。この間接性こそ、日本独自の官能美を育む大きな土壌となっています。

・・・聞こうじゃないか
歴史的に見れば、社会的制約は、官能の表現を研ぎ澄ませる役割を果たしました。
江戸時代の町人文化では、公序良俗や身分秩序により性的表現は公の場で制限されていました。しかしその制約の中で、浮世絵や春画、洒落本は暗示や遊び心を駆使し、見る者の想像力の中で熱を増幅させる表現へと発展しました。
抑圧は情欲を消すどころか、文化的フィルターを通してより洗練された表現を生み出したのです。

エロは伝統である
さらに、日本人の奥ゆかしさは「恥じらい」という形で官能の演出装置として機能してきました。
羞恥は単なる拒絶ではなく、相手を引き寄せる余白となります。
ためらいの中にこそ心理的な共鳴が生まれ、直接的な表明よりも言外の了解が価値を持つのです。この「ためらいの美学」は、欧米の直情型エロティズムとは異なり、深い心理的交感を生む独特の仕組みを持っています。
また、日本人は四季の移ろいを愛でる感性を持っており、それが官能表現にも自然な流れをもたらしています。
花がほころぶ様子、雪が静かに溶けていく様子、水面が風に揺れる様子――こうした自然の変化は、古来より恋や性愛の暗喩として表現され、直接的な性の表現よりも長く心に残る余韻を生んできました。

そう言われれば・・・
ここで、海外のエロティズムとの違いを少し掘り下げてみましょう。
欧米の近代文化では、裸体や情動を直接的に見せることに価値を置く傾向があります。美術や文学においても、感情や欲望を明瞭に表現することで快楽や興奮を伝えます。

オープンなエロ・・・
対して、日本では「見せないことで見せる」表現が重視され、袖口や襟足、影や気配といった『部分』や『余白』が官能を形成します。欧米のそれが展示の美学だとすれば、日本は余白の美学といえます。
さらに、時間の使い方にも違いがあります。欧米的表現は、物語や官能の場面をクライマックスへ向かう高揚型で描くことが多いのに対し、日本的官能は「間(ま)」や「溜め」を大切にします。
決定的な瞬間よりも、その過程や余韻を楽しむことに価値があることです。この違いが、日本独自のエロティズムの深みを生む要因の一つとなっています。

確かに・・・
視線の使い方も特徴的です。欧米では「見る―見られる」という関係を明確に構図化する傾向がありますが、日本では障子や簾、屏風といった半透過の装置を通して視線を曖昧化します。
見る者の心に余白を残すことで、観る側自身が官能に参与する構造です。また、身体の一部を象徴的に見せる部分の詩学も、日本ならではです。襟足、手首、足袋越しの足先、濡れた髪――全体像ではなく断片を通して想像を刺激します。
欧米では規範を破ることに快楽が置かれがちですが、日本では規範の縁を巧みになぞる中で、生まれる調和の快楽が重視されます。

それが「チラリズム」
礼節や場の空気、季節感といった制約の中で表現される官能は、自由奔放な解放型の快楽とは異なる、知性と感性に裏打ちされた快楽です。
言語表現においても、欧米は直喩・明喩で感情を押し出すのに対し、日本語は婉曲や掛詞、季語によって言外の余情を生み、語られなかったものが観る者の内面で膨らむよう設計されています。
素材や空間の扱い方も異なります。欧米がレースやベルベットといった視覚的な豪華さに価値を置くのに対し、日本では絹や和紙、木、水、香など、素材が作る空気や肌理の微細な差が官能を立ち上げます。温度や照度、手触りの微妙な変化が情緒を演出するのです。
このように、日本人の奥ゆかしさは単なる性格的特性ではなく、社会的制約、文化的美意識、自然観、言語や素材の感性と融合することで、世界に類を見ない独自のエロティズムを生み出してきました。

なるほど・・・
抑制、余白、間、部分、季節、素材――それらを束ねる設計思想が、日本の官能美を長く更新し続けてきたのです。
欧米的な直接的表現と比較しても、日本の官能は『想像力を働かせる芸術』として成熟しています。
つまり、奥ゆかしさが、日本独自のエロティズムを育んできたのです。
(了)
コメント