自己犠牲なんて必要ない。あなたが幸せになるために今すぐ捨てるべき価値観

働き方の話

他人の幸せのために自分を犠牲にすることが「正義」だ

もしそんなことを真顔で言う人がいたら、僕は心底、軽蔑けいべつします。

まお
まお

えっ?!

世間の大人たちは「正義」という都合のいい幻想を僕たちに押しつけ、それに従わない人を「悪」だと決めつけてきました。僕たち昭和生まれの人間は、子どもの頃から「困っている人を助けなさい」「みんなと仲良くしなさい」「自分より他人を優先しなさい」といった耳障りのいい言葉を、呪文のように聞かされてきました。

でも、本当にそれは「正義」なのでしょうか?

それは違います。少なくとも僕は、間違っていると思う。それは、弱い人から搾取さくしゅするために強い人が生み出した、悪意に満ちた洗脳です。

まお
まお

そんなことないでしょ?

考えてみてください。僕たちの周りで、他人のために喜んで自分を犠牲にする人なんて、ほとんどいません。親は子どものためなら命を投げ出すかもしれません。恋人や親友のためなら、少し無理をするかもしれません。しかし、知らない人のため、ましてや自分を傷つけた嫌いな人のために、自分の時間やお金、人生を捧げる人がいるでしょうか?

そんな奇特きとくな人間は、見たことがありません。

ひらめ
ひらめ

いないと思う・・・

もしそんな人がいたとしても、心も体もボロボロになって、この厳しい社会の餌食えじきになるだけです。そして、周囲からは「いい人」と褒められながらも、都合よく利用され、骨のずいまでしゃぶり尽くされるのです。

「あの人は優しいから、きっと引き受けてくれる」
「あの人に頼めば、断れないだろう」

そうやって利用されるだけの人生の先に待っているのは、感謝でも尊敬でもなく、ただの疲れとむなしさ、そして自信の喪失そうしつです。

僕は、知らない人のために自分の人生を犠牲にする気はまったくありません。ましてや、嫌いな人のために何かをすることには、強い抵抗があります。そんなことをするくらいなら、「自分勝手な人間だ」「冷たい人間だ」と「悪人」だと思われた方がまだマシです。

まお
まお

そんなに?!

僕が守りたいのは、自分自身と、心から大切だと感じるごく少数の人だけです。僕の世界の中で、僕と僕の周りの人が幸せなら、それで十分です。

残念ながら、僕は見ず知らずの他人の幸せを心から願えるほど、できた人間ではありません。いや、むしろそういう人こそ、ただの偽善者であり、の存在なのではないでしょうか。

仮に、僕が、誰もがひれ伏すような莫大な資産と権力を手に入れたとても、知らない人の幸せの手助けをすることはないと思う。ましてや、嫌いな人のために1秒も使いたくないし、その存在を認識するためにまばたきすらしたくない。これが僕のゆるぎない信念です。

まお
まお

助けてあげて!!

つまり、僕はどこまでいっても「悪人」なんだと思う。

そして、この僕のような悪人のために、あなたは自己犠牲をしてくれるでしょうか?

おそらくしないでしょう。それが人間の本性です。

子どもの頃、誰もが憧れる「正義のヒーロー」がいました。テレビの中で、彼は知らない人をピンチから救い、見返りを求めず、颯爽さっそうと去っていく。僕も一時期、そんなヒーローに憧れました。しかし大人になり、その幻想はもろくも崩れ去りました。

ひらめ
ひらめ

疲れるだけ・・・

もし僕がヒーローで、知らない人がピンチに陥っていても、すぐに助けることはないと思う。むしろ「この人は、助けた後、仲良くなれるだろうか?」「嫌な奴だったら面倒だな」と、必死に助けを求めている人を値踏みする。そして「こいつは嫌な奴だ」と判断したら、見て見ぬふりを決め込みます。きっと心の中で「ごめんなさい、僕はあなたのヒーローにはなれません」とつぶやく。

たとえ特別な能力があったとしても、僕は正義のヒーローにはなれないし、なりたくもありません。なぜなら、他人のために自分を犠牲にするという行為に、何の価値も見出せないから。

そもそも、「博愛精神はくあいせいしん」などという偽善者のたわごとに耳を傾けるのは、実現不可能なをどこかで信じたいからなのではないでしょうか。「好き嫌いや敵味方に関係なく、誰にでも平等に愛を注ぐ」なんて、おとぎ話の登場人物で、この現実世界にいるはずがありません。

まお
まお

確かに・・・

その証拠に、神様ですら、自分を信じる人とそうでない人を区別し、争いを続けています。神様ですら、自分と自分の信者を愛し、それ以外の人を憎むことがあるのです。

あなたは神様を超えるつもりですか?

つまり、神様とあがめられる存在ですら、結局は、自分と自分の周りの人だけが幸せになる世界しか想像できなかったのです。もしくは、自分と自分の周りの人が幸せになれば、知らない人のことなどどうでもいいと考えていたのです。

もし僕たちが、知らない人や嫌いな人のために自分を犠牲にすることに疑問を抱かないとしたら、それはこれまでの人生や教育の中で、利用される側に洗脳されてしまっているからです。他人のために自己犠牲をしても、見返りなどありません。残るのは、疲れと、満たされないむなしさだけです。

ひらめ
ひらめ

ちょっと考えて欲しい

あなたの価値観を否定するつもりはありませんが、一度立ち止まって考えてみてほしい。

あなたは、他人の幸せのために自分を犠牲にする必要がありますか?

僕だって、自分の子どもや親、家族、そして大切な仲間のためなら、ためらわずに自分を犠牲にします。見返りを求めず、困っているなら手助けするし、役に立ちたいと心から思います。

だけど、知らない人、ましてや嫌いな人のために自分を犠牲にする気はまったくありません。それどころか、自己犠牲を強要してくる人には、徹底的に反発し、反撃する。

他人のために自分を犠牲にするくらいなら、心を鬼にして、自分や自分の周りの人の幸せのために、時間とエネルギーを使った方が、はるかに有益です。

偽善に満ちた「正義」にとらわれず、自分の人生を生きること。それが、この混沌とした世界で、自分の存在を証明する唯一の道です。そして、その道は、あなたを救う唯一の道でもあるのです。

(了)

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