弱い自分が嫌いだから、理想の男を演じる

ラクに生きる方法

本来は弱くて卑怯なブロガーひらめ(@hirame18jp)です。

なんだかんだと言いながら、本当の自分なんて誰にも見られたくない。なので、理想の自分像を作り、演じている。それが良いことなのか、はたまた悪いことなのか、僕には判断がつかない。

だけど、本来の自分を他人に見せることに抵抗があるのです。僕が「こうありたい」と思うような生き方をする人間を演じて生きています。

「誰にも認められない人間かもしれない」という不安を抱え、いつも周りの目を気にして生きている。好き勝手に生きているようで、本当は「結構、周りに気を遣って生きている」ので自己嫌悪をしまくっています。

「他人なんて関係ない」と言いながら、他人の目を気にしている。他人のことを心配する余裕なんてないのに心配したりする。

実際には、強くなりたいと思いながら強くなれずに、もがきまくっています。

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他人の目を気にして生きている

他人に媚を売らず「ロックに生きたい」なんて言いながらも、結局は他人の目を気にしている。それが良いとか悪いとかではなく、そんな自分がいるのが嫌なんだよな。

「ロックに生きたい」というよりは「ロックに生きていると思われたい」と思っている。なんか、卑怯なんだよ。他人に媚を売らないといいながら、他人に媚を売っているような気がするんだ。

なんか、うまく言葉にできないんだけど、こんな人間だと思ってほしいと考えて行動をしている。

ロックな人間だと言い切れる自信がない。自分に自信がないから、自信があるフリをしている。本当は弱くて、いつでもビクビクしているんだけど、そんな姿を見せたくない。本来は、そんな弱い部分も含めて僕なんだけど、誰にも知られたくはない。親や家族、親友にも知られたくない。

本来は周りから好かれたいとか、嫌われても良いなんて考える必要すらないんだけど、やっぱり気にしてしまう。そんな自分が嫌になってしまう。

嫌われても良いのに気になる

誰だって好き嫌いはあって「こいつは苦手・・・」だと思う相手はいる。僕は、自分で言うのもなんだけど、好き嫌いが激しい。だから、本当に嫌いな人間とは顔も合わせたくない。本当に子供っぽいと思うんだけど、嫌いな人間と我慢してまで一緒にいたくない。

そして、僕は多くの人間と関わって生きていくことが、良いことだとは思っていない。小さな社会で楽しく過ごすことが正義だとすら思っている。

嫌うなら嫌ってくれて結構。ただ、僕もあなたのことが嫌いです。何があっても助けません。というか敵です。戦うことはあっても、協力することはありません。

という態度に出ちゃうのは、僕が小さい人間だからだと思う。別に嫌われても気にする必要はないのに、どうしても気にしてしまう。

かといって、嫌われないように愛想笑いのひとつでも浮かべて、波風を立てずに誤魔化すこともできない。

誰かには好かれたい

「来るもの拒まず、去るもの追わず」で生きているつもりだけど、誰からも好かれない、誰からも信用されないなんて怖くて想像もできません。

誰ともツルまず独りで生きていければ良いのに、直ぐに他人に甘えたくなるので、誰かには認めてもらいたい。

誰からも認められなくても『我が道を行く』のが理想なんだけど、どうしても自信がないから周りの目を気にしてしまう。誰かに認めてもらい、一緒にいて欲しいと願ってしまう。本当に卑怯な男だと思う。

理想の自分を演じることで、できれば、誰かに好かれたいと思っている。そんな自分が嫌いです。

理想の自分を演じる

弱くて卑怯で女々しい本来の僕と理想とする自分像の間に大きなギャップがあるのです。好き勝手に生きているんだけど、他人の目は気になる。気になっているからこそ、大袈裟に『好き勝手に生きている人間』を演じている。

独りで生活することは不可能だし、そもそも僕の場合、弱い人間なので、誰かに甘えて生きていたい。だから、少しでも、他人に憧れてもらえる人間を演じてしまう。

周りから求められている僕は、僕が理想とする人間であって本来の僕とは違う。違っているんだけど、周りの期待に応えるために理想の自分を演じているような気がする。

本当に強い人間は、自分に自信を持ち、他人からの目を気にしないで生きているんだと思う。そんな強い人間になりたい。

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