「無趣味はつまらない」は誤解?――趣味がない男こそ優秀な仕事人間になる理由

コラムという名の雑記

「無趣味な人間はつまらない」。これは世間でしばしば耳にする言葉である。特に男性に対してその烙印らくいんは重くのしかかる。

合コンや初対面の場で「趣味は何ですか?」と尋ねられ、「特にありません」と答えると、その場の空気が一気に冷え込む。まるで自分が存在していないかのように扱われる瞬間を経験した人も少なくないだろう。でも、それは違う。無趣味だからこそ、優秀な仕事人間として評価されるべきである。

もちろん、趣味を持つこと自体を否定するつもりはない。スポーツに打ち込む人もいれば、音楽や映画を語ることで人生の彩りを感じる人もいる。それらが悪いわけではない。

しかし、冷静に考えてみてほしい。趣味とは結局のところ、時間とお金を無駄に消費する行為である。例えば、ゴルフに行けば丸一日が潰れる。映画やドラマに没頭すれば、数時間は軽く溶ける。カメラや車に熱中すれば、収入の相当部分が道具や維持費に吸い取られる。合理的に考えれば、時間と資源を浪費しているだけなのだ。

無趣味であるということは、裏を返せば余計な浪費をしていないということである。休日に趣味のために出かける必要もない。夜遅くまで趣味に没頭することもない。結果として、他人が趣味に時間を捧げている間、無趣味な人間は仕事に集中できる。自己研鑽に励み、資格を取り、読書で知識を深めることができる。つまり「無趣味=効率的な人間」なのである。

確かに、無趣味な男性は女性に敬遠されやすい。恋愛市場では「つまらない男」と烙印を押され、職場でも「情熱がない」「面白みに欠ける」と評価されがちだ。

皮肉なことに、趣味を持ちプライベートを楽しんでいる人間の方が、周囲から高く評価されるケースが多い。仕事の場面でも「バランスが取れている」「人間的に魅力がある」と見なされ、昇進や評価につながることも少なくない。実際、僕の周囲でも、趣味人タイプの方が出世している現実がある。これを前にすると「無趣味=不利」という図式は、残念ながら否めないのかもしれない。

でも、冷静に考えてみてほしい。

そもそも「人間的魅力」とは何だろうか。本当に、趣味を持っていることが魅力なのだろうか。例えば「釣りが趣味です」と答えた人間が、果たしてそれだけで仕事に対しても真剣に取り組む人物であるといえるのか・・・。休日に釣竿を振り回して魚を待つ時間が、社会的にどれほどの価値を持つのか。

結局のところ、趣味は自己満足に過ぎないのだ。

むしろ、無趣味であるからこそ、時間の使い道が自由である。趣味に縛られない人間は、他人が遊びに夢中になっている間に努力を重ねることができる。誰もが「遊びたい」と思う時間にこそ、一歩先んじて勉強し、スキルを磨き、キャリアを積む。それは長期的に見れば、確実に大きな成果をもたらすはずだ。

短期的には「つまらない」と言われるかもしれない。だが10年、20年経ったとき、真に評価されるのは・・・趣味に熱中していた人間か、それとも一心に努力を続けた人間か、考えずにも答えが出るだろう。

もちろん、こんな話をすると「仕事一辺倒では人生が味気ない」「燃え尽きてしまう」と反論されることも多い。

でも、よく考えてみてほしい。燃え尽きるほど没頭できる仕事があるというのは、むしろ幸運だ。趣味にエネルギーを分散せず、仕事そのものに全力投球できる。これこそ、真の仕事人間の在り方ではないか。僕は強くそう思う。

確かに「無趣味=つまらない」という世間の偏見は根強い。会話のネタに困ることもあるし、社交の場で肩身が狭い思いをすることもある。でも、それはあくまで一時的な印象に過ぎない。むしろ無趣味であるからこそ、人生のリソースを最大限効率的に配分できる。

結果として仕事で成果を出し、社会的評価を高めることにつながるのだ。つまり「無趣味=強み」なのである。

無趣味を恥じる必要はない。むしろほこるべきである。趣味に熱中している人の方が一見、華やかに見えるかもしれない。しかし、彼らが時間やお金を浪費している間に、無趣味な人間は静かに力を蓄えている。その努力はやがて必ず結果となって現れる。世間の「無趣味=退屈」という固定観念を覆し「無趣味こそが真の強み」であることを理解してほしい。

結局のところ、趣味は個人の自由であり、他人が口を出すことではない。

でも、もし「無趣味である自分はつまらない人間なのかもな・・・」と悩んでいる人がいるなら、僕は声を大にして伝えたい。

無趣味だからこそ、あなたは余計な浪費をせず、人生を戦略的に歩むことができるのだ。

世間の偏見に惑わされず、自らの道を堂々と歩んでほしい。無趣味こそ、未来への最大の武器になるのだから。

(了)

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