世の中には、不思議な人がいる。会話をしていると、どうしても「あ、この人は頭がいいな」と感じさせてしまう人間である。

いるよね・・・
それは肩書きや資格の数とはほとんど関係がない。むしろ、立ち居振る舞いや、ささいな一言の裏に漂うものから感じ取られる。よくよく観察すると、彼らは、少し先の未来を見ているような気がする。いまという瞬間を感じながらも、同時にその先の未来を描いている。
僕はそういう人間に出会うたび、自分との差を突きつけられる気がして、居心地の悪さと憧れの入り交じった感情を覚える。
五〇年生きてきて、僕も他人から「頭がいいですね」と言われたこともある。だが、その言葉を真に受けたことは一度もない。なぜなら、僕はそうした「頭のいい人」特有の言動・行動が、上手くできていないと自負しているからである。
四六時中、観察を怠るし、未来を想像しても外れることが多い。結局のところ、自分を振り返ると「まだまだ頭が悪いな」と笑うしかないのである。だが、その笑いの中に小さな確信がある。転んでも、少なくとも転んだ原因を考えようとする限り、人は少しずつ前へ進めるのではないか、ということだ。
頭のいい人と悪い人の違いを、一言で言うなら「未来を見る力」だと僕は思う。

どういうこと?
人は往々にして目の前の出来事にとらわれる。職場での一言、家庭での小さな不満、あるいは街角で出会った些細なトラブル。頭のいい人は、そうした瞬間の背後に潜む因果関係や、その出来事がどのように未来へと連なっていくかを描くことができる。
逆に、頭の悪い人は、いま目に見えていることだけに反応してしまう。そして、刹那的な解決策を講じ、後々、同じように悩むのである。未来を思い描かず、ただその場をしのぐ。迷路に放り込まれて出口も探さずに壁をなで回しているようなものだ。

そうだね・・・
そして、未来を見るための想像力は「観察」と「分析」が揃って発揮される。
観察をすることは重要である。頭のいい人は、よく見ている。人の表情、声の調子、空気のわずかな揺らぎにすら気づく。そして、それらをただ眺めるだけでなく、背後にある因果を読み取り、未来の一手を描く。
僕も真似して観察を試みるが、現実には見過ごすことが多い。商店街での一場面など、僕は何度も気づかずに通り過ぎてきた。だが、あるときだけは妙な勘が働いたことがある。人のやり取りの気配から「これは揉めそうだ」と感じ、足を止めた。そのおかげでトラブルに巻き込まれずに済んだのだ。あの瞬間、自分にもわずかに頭の良さのかけらがあるのではないかと、少し誇らしくなった。
寺院の庭に立つと、そんな思考はさらに深まる。苔の湿り気、枝の伸び方、石の配置。それらはすべて偶然ではなく、作り手の意図によって置かれている。庭は単なる景観ではなく、未来を見通した計算の積み重ねなのだろう。しかし、僕はそれを理解したいと思いながら、半分も掴めないまま帰ることが多い。それでも「なぜそうなのか」と問い続けること自体が、想像力を鍛える稽古なのだと信じている。
想像力は空想ではない。燃料がなければ走らないエンジンのようなものだ。知識や経験がその燃料になる。読書や映画、歴史から多くを学ぶことができる。町人の商売の知恵や、戦国武将の策略を知ると、現代の人間関係や仕事にも応用できる。だが、現実に応用しようとしてもうまくいかないことも多い。燃料は積んでいるのに、火をつけるのが下手なのだ。それでも知識を蓄えることをやめないのは、きっといつか役に立つと信じているからである。

なるほど・・・
頭のいい人になるために必要なことは、結局のところ三つに尽きる。本や映画、人との会話から知識を増やすこと。目の前の出来事を観察し、その因果を読み解くこと。そして未来を想像し、行動につなげること。言葉にすれば単純で、誰でもできそうに見える。だが実際にやろうとすると、これがなかなか難しい。僕も気づけば日々の惰性に流されてしまう。だからこそ、こうして文字にして確認している。まるで自分に言い聞かせるように。
日常で想像力を鍛える方法は、実は身近なところに転がっている。通勤電車で人の表情を観察してみること。古い町並みや庭園を歩き、なぜそう作られたのかを考えてみること。本や映画から得た知識を、ささやかな日常の問題に当てはめてみること。そして小さな選択であっても、その先にどんな未来が待っているかを想像して行動してみること。大げさなことではない。ほんの少し意識を変えるだけで、人の目は確実に磨かれていくのだと思う。

難しいけど・・・
僕は、頭のいい人の習慣を見抜きながらも、なかなか自分のものにできていない。そう思うと、自分はやはり頭が悪いのだと笑うしかない。だが、もしかしたら「自分はまだまだだ」と自覚して、どうにか想像力を鍛えようとする姿勢こそが、頭の良さの一端なのかもしれない。人は自分を愚かだと笑えるときに、少しだけ賢くなっている。そう信じている。
さて、君はどうだろうか。自分を「まだ足りない」と思うことがあるだろうか。だとすれば、その感覚こそが想像力の芽かもしれない。未来は、今日の小さな想像力の積み重ねで変わっていく。歩く道の先に、どんな景色を描くか。それを少しだけ意識してみるだけで、人生は驚くほど違って見えてくるはずだ。
(了)
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