趣味とは俗世からの逃避である。欲望と孤独を肯定する時間があなたを支える理由

趣味の話

僕たちは日々、数えきれないほどの義務と情報に囲まれて暮らしています。

自分にとって必要か無駄かは別にして、ニュースアプリを開けば、物価高や社会不安、誰かの炎上やスキャンダルが目に飛び込んでくるんですよね。そして、日中は仕事に追われ、帰宅後は家庭の役割に追われ、ようやく眠りについたと思えば、また朝が来る・・・。

このような日常に、違和感を抱いている方も少なくないのではないでしょうか。

「この生活に意味はあるのか?」
「自分は誰かのためだけに生きているのではないか?」
「“自分”を感じられる時間がない」

こうした問いは、特に30〜50代という“社会の中核”を担う世代にとって、心の深いところに根を張っている問題です。その違和感を乗り越えるために、改めて「趣味」という行為に目を向けてみてはいかがでしょうか

本記事では、趣味とは「俗世からの一時的な離脱」であり、自分の欲望に忠実になることで人生に深みと回復力を与えるという観点から、趣味の本質的な意義について掘り下げていきます。

趣味とは「社会的役割」から一時的に離れる行為

僕たちが普段生きている場所・・・それは、仕事場、家庭、地域、SNSなど、常に何かしらの「役割」や「他人の視線」に囲まれた世界です。

こうした空間を、仏教では「俗世(ぞくせ)」と呼ぶことがあります。この俗世の中では、人は「上司として」「夫として」「父親として」「有能な社会人として」と、無意識のうちにのです。

その演技が長く続けば続くほど、「本来の自分」がどこにいるのか、わからなくなってしまうことがあります。

そこで重要なのが『趣味』です。

趣味とは、これらの社会的役割から一時的に距離を取り、ただ自分の内なる欲求に従って時間を使う行為です。それは決してなものではなく、「自分を回復させるための静かな行動」なのです。

「欲望に忠実であること」は、自己理解への第一歩

現代社会では、「欲望に忠実になること」が、どこかネガティブに捉えられがちです。「わがまま」「だらしない」「生産性がない」といった価値観が、無意識のうちに浸透しんとうしています。

でも、僕たちが人間である以上、欲望を持つことは自然なことです。

食べたい、寝たい、笑いたい、何かをつくりたい・・・。

そして「ただそれをする」という行為には、深い意味があります。趣味に意味を求めすぎると、その本質が崩れてしまいます。

「これって何の役に立つの?」「誰かに見せるべき?」と考えた瞬間、それは趣味ではなく『タスク』になってしまうのです。

大切なのは、「役に立たなくても、自分にとって価値がある」という感覚を信じることです。

他者からの評価を気にしない時間が、精神を整える

SNSが普及した現代では、僕たちは日常的に「見られること」を意識しています。写真を撮って投稿する、いいねをもらう、共感を求める・・・。

それ自体が悪いわけではありませんが、常に生き方は、知らぬ間に心を消耗させます。

趣味とは、そうした「他者の視線」から離れ、「自分の目」で自分を見る時間でもあります。夜中に誰に見せるわけでもなくラジオを聴く、釣りに出かけて誰にも報告せずに帰る、プラモデルを黙々と作る・・・。

このような行為には、『他人に見られていない安心感』が宿っています。これが非常に重要な感覚なのです。自分を外の評価から切り離し、「ただ好きだからやる」という純粋な動機に立ち返る時間があるかどうか。

それが、人生の安定性や幸福感に直結するのです。

趣味は「逃げ」ではなく「戻る場所」

「趣味に逃げているだけじゃないか?」と罪悪感を覚える方もいるかもしれません。しかし、「逃げる」という行為は、そもそも悪いことなのでしょうか?

極限状態では、人間は本能的に安全な場所へ逃げます。

戦場で無理をすれば命を落とすように、精神的な消耗が続いたときには、が必要なのです。むしろ趣味とは、単なる「逃げ」ではありません。

それは、「自分に戻るための場所」、いわば『精神的なホーム』のようなものです。外の世界で消耗した心を回復させる。役割から解放され、「ただの自分」に戻る時間を持つ。それが、結果として家庭や仕事での自分をより安定させることにつながっていきます。

趣味を持つことは、「生きる意味」に向き合う準備になる

人間はある程度の年齢を超えると、「何のために生きているのか」といった根源的な問いに直面します。その問いに真正面から答えることは難しいですが、少なくとも『趣味の時間』を持つことで、こうした問いとゆっくり向き合う準備ができます。

趣味とは、日常の中にぽっかりと空いた「意味のない空間」です。しかしその空間こそが、「意味に縛られない生き方」のヒントをくれます。

毎日を効率や成果だけで測るのではなく、「この時間が好きだな」「今日も少しだけ、自分の好きに従えたな」と思える瞬間。

それは、人生にとってかけがえのない“栄養”になるのです。

まとめ:趣味は「自分の時間の主導権」を取り戻す行為

本記事では、「趣味とは俗世から一時的に距離を取り、自分の欲望に忠実でいられる時間である」という視点から、趣味の意義について考察してきました。

もう一度、要点を整理します。

  • 趣味は社会的役割から離れて「自分」に戻る行為
  • 趣味の時間は、他人の評価を気にせず、自分の感覚と向き合える貴重な時間
  • 意味や成果を求めず、ただ「好き」に従う行為は、精神的な健やかさにつながる
  • 趣味は「逃げ」ではなく、「戻る場所」
  • 欲望に忠実でいる時間が、あなたの人生を支えてくれる

もし今、あなたが「趣味がない」「何をしても楽しくない」と感じているなら、まずは小さな欲望から始めてみてはいかがでしょうか。

「今日はあの本を読んでみよう」
「何となくあの店に行ってみたい」
「誰にも言わないけど、この音楽をもう一度聴きたい」

そんな一つひとつの「やってみたい」が、やがて「あなただけの場所」になっていきます。

他人の目を気にせず、意味も成果も求めない時間を持つこと。それこそが、人生に余白と自由を取り戻す、最もシンプルで強力な方法です。

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