「住みにくい世の中」に共感するあなたへ|夏目漱石『草枕』の言葉に救われた僕の話

コラムという名の雑記

智に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈きゅうくつだ。兎角とかくに人の世は住みにくい。

これは、夏目漱石の『草枕』の有名な冒頭の一節です。僕は、はじめてこの言葉を読んだとき、「これだ」と思いました。何故かというと、自分の心の中のモヤモヤを、そのまま言葉にしてくれているようだったから。

僕なりにこの言葉を解釈すると、こんな感じになります。

物事の本質が見えすぎると周りとぶつかる。感情に流されると自分を見失う。かといって自分の意思ばかりを押し通そうとすると、身動きがとれなくなる。ああ、ほんと、生きるって面倒だなあ

僕が思うに、漱石先生が生きていた時代も大変だったと思うけど、それ以上に、現代は生きにくい。

その理由は、情報過多の現代社会では、頭が切れる人ほど、矛盾や嘘が目についてしまいます。SNSで幸せをアピールしている人の裏にある、孤独や承認欲求の塊・・・人間の汚い部分が見えてしまうこともあります。会社に行けば「成果主義」と言いつつ、実際は空気を読んで周りに合わせないとやっていけない。

そんな二重構造が当たり前の日常で、僕のように少し繊細で考えすぎな人間には、真面目に生きていると、突っ込むところだらけで、本当に面倒くさく感じてしまいます。

昔は「空気は吸うもの」だったのに、いつの間にか「読むもの」になっていて、しかも読み間違えたら終わり。この難易度は一体なんなんでしょうか。

正直なところ、僕は他人の気持ちが分かりすぎてしまい、自分の気持ちを抑え込もうとしたことはがありました。「自分が我慢すれば丸く収まるなら」と。でも、それって、自分に嘘をついているみたいで・・・出来ないんですよね。

世の中をうまく渡っていける人というのは、きっと、ある程度は鈍感だったり、「まあいいか」と割り切れたり、責任をうまく回避できる人なんだろうと思います。あんな風になれたらラクだろうな・・・とは思うけれど、僕にはできないんです。

共感しているをして自分を誤魔化したり、「みんながそう言ってるから」とか「普通はこうだから」と深く考えずにいられたりすれば、もっと生きやすいのかもしれません。

「本質を見抜いて、自分のペースで、自分の価値観で生きていく」

それはロックの精神であり、僕が目指す生き方です。

もちろん、ラクではありません。でも、誰にも認められなくても、自分の中の「これだけは譲れない」という信念を持っていれば、きっとどこかで強くなれると信じています。

「生きづらい」と感じることは、決して悪いことではありません。むしろ、それは社会の矛盾や理不尽さに気づいている証拠なんですよね。少し自画自賛になってしまうけど、そんな感性を持つ人間は、かっこいい。

僕は自分の価値観を無理に押し付けるつもりはありません。もしこの記事を読んで「わかる・・・」と思ってくれた人がいたなら、そっと手を差し伸べたい気持ちでいます。同じように悩んで「面倒くさいな」と思いながらも、自分を裏切らずに生きようとしている仲間として。

漱石先生、あなたの言葉に今の僕はとても救われています。そして、たぶんこれからもずっと「生きづらいな」と思いながら、それでも自分らしく生きていくんだろうなと思っています。

一度、漱石先生と酒を飲み、語り明かしたかったな・・・。

(了)

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