吾輩はゲスである。名前は既にある。いつからゲスになったのか、とんと見当がつかぬ。だが、気づいた時にはゲスだった。
何でも、世間では自分を犠牲にして、権力に媚を売るのが人間としての生き方であるそうだ。
吾輩は、他人から嫌われようが、内なる欲望を満たすために生きている。
社会的な正義とか、倫理的、道徳的な行動や考え方など関係ない。だからゲスなのである。
他人にどう思われようが、嫌われようが、吾輩の中の正義のために生きる。
自分の意見を持たず、間違った多数派意見が正しいと考えるバカよりは、ゲスな自分が良い。ゲスに誇りがある。
間違った価値観を押し付ける現代の主流派と一緒にされるのはゲロゲロなのである。
権力に媚を売り、いい様に使い捨てられ、罠にハマるような愚鈍な輩とは違う。違っていたい。
強きを助け、弱きを挫く人間という邪悪な生き物を見た。
それも、あとで聞くとそれは一般的で、そこかしこに生息している人間として普通の種族だそうだ。
対して、ゲスな吾輩は誰に媚びることなく、内なる欲望の求めるまま、好きなことを好きな時に好きなだけ、好きなように、好き勝手に好きな仲間と楽しんでいる。
気に入らない人間は、年齢や社会的な地位に関係なく嫌いだし、そんな人間に媚を売る、何の生産性もない人間がとんと嫌いなのである。
そして、そんな愚鈍な人間たちと表面上だけでも仲良くすれば良いと言う仲間からの忠告も吾輩にとっては必要ない。
人間としての経験や知識もない癖に、立場や年齢で偉そうにしている人間を相手にしている暇はない。
そもそも、偉そうな人間も、そんな人間に媚を売る人間も、そんな人間を羨む人間も、吾輩は嫌いだし、嫌われても全然問題ない。何なら吾輩の視界から消えて欲しい。
こんな話をすると人間は一人で生きているわけではない。いつか、そんな人間にも助けて貰うかも知れないから嫌われるのは損。などと寝言みたいな話を押し付けて来る人間がいる。だが、はっきり言って、そんな輩からは、迷惑をかけられても、助けて貰うことなぞない。
他人の権力を傘にして威張っている人間の庇護にあう程、吾輩は落ちぶれていない。
と言うか、これまでに失脚した権力者に助けを求めらることはあっても、吾輩から権力者に寄って行ったことはない。有り得ない。生まれながらに偉そうな人間は大嫌いなのだ。
偉そうに上から目線で話す人間を見ると「ウンコ漏らせ」と内心、呪うのが常である。
吾輩は自分の我儘は愛おしいが、他人の我儘ほど憎いモノはない。
仲間の我儘は許せるが、他人の我儘で、吾輩、および仲間に危害を及ぼすのであれば、社会的な倫理、ルール、及び、正義に関係なく全力で排他する。
嫌いな人間から助けを求められても、助ける気には微塵もならない。見殺しにするのかと言う問いに対して、大声でブレることなく「もちろん」と叫ぶ。
吾輩はゲスであり、ゲスだと認めているからこそ、大好きな仲間を大事にする。ゲスな吾輩を認めてくれる、かけがえのない仲間には、とことん尽くす。慈愛に満ちた心で大切にする。
もし、吾輩の仲間が世界中の全人類を敵に回す状況であっても、吾輩は最後まで味方でいる。それは、ゲスな吾輩を見守ってくれる仲間へのせめてもの『罪ぼろし』である。
多くの仲間なぞ必要ない。濃ゆい仲間だけ近くに居れば、吾輩は幸せなのである。
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