妄想という名の遊び ― 他人には言えない楽しみ

心の中の話

正直にいうと、僕には胸を張って言えるような趣味がない。

まお
まお

そうなの?

男性の多くは釣りやゴルフ、あるいはランニングなど、健康的でさわやかな趣味を持っているように見える。そういう人々を横目にすると、うらやましさと同時に、どこか「自分はそういう舞台には立てなかったのだな」と妙に卑屈ひくつな気持ちになる。

かといって、世の中の男たちがこっそりとなぐさめにしているにも、僕はそれほど執着がない。性欲が消えたわけではなく、むしろ雑念だけは衰えずに渦巻いている。ただ、それを行為に変換するのではなく、頭の中で妄想を、膨らませることの方が、性に合っているようだ。

まお
まお

な、何の告白?!

僕のささやかな趣味は「マンウォッチング」と「妄想」である。

ひらめ
ひらめ

妄想レベル99

人を眺め、勝手にその人生を想像して楽しむ。これを趣味と呼んでいいものか、そもそも趣味というより悪癖といった方が正しいかもしれない。

金曜日の夜、電車で顔を赤くしたサラリーマンを見れば「この人は同僚と調子に乗って酒を飲んだのだろう。しかし家に帰れば、奥さんが玄関に仁王立ちし、領収書を睨みつけながら叱責するに違いない」と想像する。僕自身が似た経験をしているからこそ、情景は妙に生々しい。

まお
まお

ありそう・・・

街角で超絶美人の女性を見れば「この人は、男なんて私の魅力でイチコロよ。と余裕を装いながら、内心では、自分から惚れたいと思い、相手を探している。もし、僕と偶然目が合ったら、理屈を超えて、僕に惹かれ、猛烈にアタックしてくるかもしれない。だから、視線をらそう」と考えてしまう。

ひらめ
ひらめ

・・・照れるぜ

書いていても痛々しい妄想であるが、頭の中ではこれが案外楽しい。

パンツスーツを着たキャリアウーマンを見ると「彼女は仕事では人一倍の力を発揮するが、夜はひとり泣きながら眠る孤独な人間である。ある日たまたま隣に住む僕の部屋を訪ねてきて、弱音を吐き、そして――」と物語が始まってしまう。

自分の生活には到底あり得ない展開を、勝手に空想するのである。

まお
まお

やめろ、変態っ!!

妄想は時に悪意と欲望の入り混じったところまで転がっていく。だが、それを真顔で膨らませている自分の姿を想像すると、ぞっとする。

外から見れば、ただの仏頂面の中年男が、実は頭の中でこんな妄想をしていると知られたら、世間はどう思うだろう。間違いなく「気持ち悪い」と眉をひそめることだろう。

ひらめ
ひらめ

自己分析はできている

妄想というものは、外から見れば滑稽こっけいであり、時に卑俗ひぞくである。だが、現実の世界で自分を縛るものが多くなると、人間はどうしても心の中に逃げ場を作ってしまう。

四〇代にもなれば、仕事では責任を背負い、家庭では夫や父の役を演じなければならない。若い頃のように衝動で動くことは難しい。そんな生活を送りながら、頭の中だけは自由でいたいという願いが、こうした妄想に姿を変えるのだろう。

まお
まお

いや、ダメだと思う・・・

もちろん、妄想が現実に滲み出すのは危険だ。もし車内で笑みを浮かべてしまえば、その瞬間「不審な中年男性」としてカテゴライズされる。妄想とは、あくまで頭の中で完結させるべきものである。人に悟られてはいけない。これは自分に課した鉄則である。

ひらめ
ひらめ

バレたら大変・・・

それにしても、妄想の中の自分はずいぶんと自由だ。美人に惚れられ、キャリアウーマンに頼られ、他人の秘密を見抜く。現実の僕は、ただの冴えない中年男に過ぎないのに。だが、この落差こそが妄想の面白さなのかもしれない。

僕の趣味は、こんな所で公開せず、墓場まで持っていくべき種類のものかもしれない。でも、僕だけではないはずである。世の中の多くの男性もまた、似たような妄想を一度は抱いたことがあるのではないだろうか。

まお
まお

決めつけるなっ!

酔った同僚の行く末を想像したり、すれ違った女性の裏の顔を推測したり・・・心のどこかで「俺もそうだ」と思う人がきっといるはずだ。

そう考えると、妄想とは孤独な遊びでありながら、人間に普遍的な営みでもあるのかもしれない。現実の自分は、不器用で、たいした趣味もなく、ただ仏頂面でスマホをいじる中年である。

ひらめ
ひらめ

あくまでもクールに・・・

それでも、頭の中では無数のドラマが繰り広げられている。もちろん、それを人に打ち明けることは決してない。妄想とは、あくまでおのれひとりの禁断の趣味なのである。

まお
まお

・・・

(了)

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