なぜエゴイストだけが勝者になれるのか?

コラムという名の雑記

人間の行動は、自分の利害が原動力となっている

この世が殺伐さつばつとして、魑魅魍魎ちみもうりょうが化かし合い、チカラが正義の実力社会に突き進んでいるのは、多くの人が利己的な欲望のまま、私利私欲に走っているからだ。

好きか嫌いかはともかく、資本主義経済の中心には利害関係がある

だからといって、みんなの私利私欲を抑制し、全ての欲望をコントロールする社会であれば、我慢を強いられ、息苦しい世の中になってしまい、人々は幸せになれない。

本当に豊かな社会とは、人々が自分の欲望を素直に解放して、生きることの出来る社会だ。言い換えると自分のエゴが通れば、誰でも幸せなのだ

なぜエゴイストだけが勝者になれるのか?

人間は美しい言葉に酔い、心地よい幻想を求めてしまう生き物である。

「人のために生きよう」「自己犠牲こそ尊い」「みんなで仲良く助け合おう」――テレビや教科書で繰り返し聞かされる、甘く、耳障りの良いフレーズ・・・。これらの言葉に違和感を抱かず、素直に受け入れてしまう人々は、ある冷徹な真実から目を背けている。

この世界で真の成功、富、そして揺るぎない幸福を掴むのは、自分の欲望にひたすら忠実で、自らのエゴをどこまでも貫き通せる人間であるというのが真理なのだ。

「エゴイスト」という言葉には、往々おうおうにして自己中心的で、他者を顧みない、汚い存在だとネガティブなレッテルが貼られる。でも、それは社会が作り上げた欺瞞ぎまんにすぎない

欲望は「悪」ではない。それは生命の根源に刻まれた、最も純粋で、最も強力なエンジンなのだ。

古代から、多くの思想家たちが人間の行動原理を「自己保存」や「幸福の追求」として語ってきたように、人間は本能的に「自分にとって得か損か」で動く。この根源的な衝動を「利己的で汚い」と否定するのは、自分自身の本質を否定する愚行ぐぎょうである。

欲望なくして、人間は何も成し遂げられない。もっと豊かになりたい、もっと高く登りたい、もっと自由に生きたい――その飽くなき渇望こそが、文明を築き、社会を前に進めてきた原動力なのだ

拡張された利己心の巧妙なカモフラージュ

「でも、人間は助け合う動物ではないか?」という反論が聞こえてくる。

確かに、助け合いという行為は社会の美徳として称賛される。だが、その本質を突き詰めれば、そこにあるのはやはりエゴイズムである。

「いつか自分に返ってくる」「感謝されて気分がいい」「良い人間だと周りから思われたい」――突き詰めれば、すべての利他行為の根底には、何らかの形で自分に利益が返ってくるという打算や、承認欲求という個人的な快楽が存在する。

つまり、利他行為は、自己のエゴを間接的に満たすための、洗練された拡張された利己心にすぎないのだ

これは、生物学の視点から見ればさらに明確になる。生物のあらゆる行動は「自らの遺伝子を存続させるため」に行われる。親が子を守る自己犠牲的な行為でさえ、それは自分の遺伝子を未来に残すための究極のエゴイズムである。

我々が美しいと信じる「愛」や「慈悲」もまた、遺伝子を運搬する乗り物としての個体が、より効率的に自己を再生産するための生存戦略だと言ったら、あなたは耳をふさぐだろうか?

しかし、それが冷徹な真実なのだ。

経済と社会を動かす「エゴの見えざる手」

社会のシステムは、このエゴイズムという本能を前提として構築されている。

市場は個々人が自身の利益を追求する中で、まるで「見えざる手」に導かれるかのように社会全体を繁栄させていく。経営者は「もっと利益を上げたい」というエゴを持ち、従業員は「もっと高い給料が欲しい」というエゴを持つ。

この二つのエゴがぶつかり合い、その摩擦の中で、より効率的な生産方法や、より公平な分配方法が模索され、社会は進歩していく。

もし、このシステムからエゴイズムを排除したらどうなるか?
全員が「欲はありません」と宣言したら?

誰も新しいビジネスを始めようとせず、誰も新しい技術を開発しようとせず、誰も懸命に働かなくなる。市場は停止し、文明は後退する。間違いなく・・・。

他者のために働こうという理想論は、現実の経済を回す力にはなり得ない。現に、歴史を見れば、個人の欲望を抑え込み、全体に奉仕させようとした社会は軒並み停滞し、やがて衰退していった。

一方で、個人の自由な欲望を解放し、競争を奨励した社会は、驚くべきスピードで繁栄を謳歌おうかしているのだ。

欲望を隠す者は「都合の良い駒」になる

エゴは悪ではない。それは、この競争社会を生き抜くための武器であり、身を守る盾だ。

だが、多くの人は、他人から嫌われることを恐れ、自分の欲望を「迷惑をかけるかもしれない」「利己的だと思われるかもしれない」と押し殺してしまう。

その結果どうなるか?

自分のエゴを押し殺した者は、他者のエゴに一方的に搾取さくしゅされる運命を辿たどる。職場での理不尽な要求、友情という名の搾取、家族内の期待という名の重圧・・・。

声を上げず、自分の欲望を主張しない人間は、他人のとして利用される。まるで、自分の権利を「どうぞ、持っていってください」と差し出すかのように、気づけば一生「都合よく利用される側」で終わるのだ。

あなたは「謙虚けんきょさ」や「協調性」が成功の鍵だと信じているかもしれない。それは、あなたの欲望を抑え込み、他者のエゴに奉仕させるための、社会が仕掛けた巧妙なわなにすぎない

真の成功者たちは、表向きは協調性を装いながらも、内には燃え盛る欲望の炎を宿し、誰よりも狡猾こうかつに、誰よりも執拗しつように、自分の利益を追求している。この世界は「エゴとエゴのぶつかり合い」で回っており、自分のエゴを堂々と掲げる者だけが、その摩擦から利益を得られる。

欲望を貫く者だけが、富と自由と幸福を手にする

だからこそ言いたい。あなたの欲望は、誰に遠慮する必要もない。もっと稼ぎたい、もっと認められたい、もっと楽しみたい、もっと自由になりたい――その気持ちは、あなたがこの社会で勝者となるための唯一のパスポートだ。

正直者でも、自己犠牲者でもない。この世界で勝利をつかむのは、自分の本能に忠実であり続けた者だけだ。他者の顔色を伺い、自分の欲望を押し殺す生き方は、結局のところ、何の達成感も、何の幸福ももたらさない。真の幸福とは、自分の欲望を貫き通し、その手でつかみ取った富と自由を謳歌おうかすることによってのみ得られる。

さあ、その美しき幻想から覚醒かくせいし、内に秘めたエゴという名の獣を解き放て。それが人間の本能であり、勝者になるための唯一の道なのだから。

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