便利さの代償?! 不便の中にこそある人生の楽しみ

社会の話

便利になり過ぎて「楽しみ」がなくなってきた。

僕が思うに、「楽しさ」は不便の中にあるモノである。つまり、現代のように、効率や利便性を求め、何でも便利になり過ぎると、世の中がつまらなくなるのだ。

まお
まお

どういうこと?

人間は古来から不便だから、試行錯誤し、失敗し、改善して技術や科学を発展させてきた。そして、その不便さを克服した時の喜びや満足感は、他には変え難い快楽として、僕たちのDNAの刻まれていはずである。

だから努力をするし、学習をする。そうやって人類は発展してきた・・・と僕は思っている。

まお
まお

確かに・・・

さらに、誰でも簡単に行えることが、楽しみや趣味になることはない。僕たちが楽しいと思うのは、「面倒くささ」や「不便」があるものだ。

出来そうで出来ない、もう少し頑張れば、上手く出来る・・・そんな向上心を満たすようなことが楽しい。また、他人が簡単に出来ないことを自分がマスターして「すげー」と称賛しょうさんされることに至福を感じる。誰もが簡単に出来ることでは称賛は得られない。

ひらめ
ひらめ

優越感を味わえる

世の中は確実に便利になってきている。昭和50年生まれの自分から見ると、その変化の速度は著しい。

特に、自動車の進化は顕著な例だ。免許を取得した当時、オートマチック車は高級車の専売特許のような存在で、一般家庭では手の届かないものだった。中流家庭の多くは、マニュアルミッション車を所有していた。

今では逆転し、マニュアル車を探すことの方が困難になっている。

技術の進歩は、確かに生活を豊かにしてきた。運転支援システムの登場により、誰もが安全に運転できるようになった。

しかし、その一方で何かが失われていく感覚も否めない。映画「カーズ」が描いたように、効率や利便性だけを追求する生き方には、どこか寂しさがある。人生には、余裕のある場所や時間が必要なのだ

まお
まお

余裕か・・・

IT業界に長く身を置いている立場から見ると、スマートフォンの登場を境に、技術革新の速度は加速の一途を辿っている。

30年前、モデム通信で静止画を閲覧するのに長時間待たされていた時代が、まるで遠い過去のように感じられる。

現代では、高速モバイル通信により、移動中でも高画質な動画を視聴することが可能だ。しかし、この利便性は新たな社会問題も生み出している。

次世代通信規格「5G」の普及により、さらなる大容量通信が実現するだろう。その先にある未来は、想像すら難しい。

便利になることは確かに素晴らしい。

例えば、温水洗浄便座の普及は、生活の質を確実に向上させた。しかし、すべてが効率化され、合理化されていくことへの違和感も感じている

ひらめ
ひらめ

便利になり過ぎた・・・

自動車で言えば、マニュアルミッション車の方が運転の楽しさは格段に上だった。

確かに、渋滞時のクラッチ操作は足がつるほど大変だったが、その不便さゆえに、運転できること自体がステータスとなり、特別な価値を持っていた。女子とドライブデートができる誇らしさもあった。

現代の若者は、高度な利便性を当たり前のものとして受け入れている。スマートフォンもネイティブのように使いこなす。

僕も最新のiPhoneを毎年のように購入し、時代に追いつこうと必死だが、どこか余裕がない感覚がある

技術の進歩により、個人の能力差よりも、新しい道具をいかに使いこなせるかが重要になってきている。

しかし、その道具自体も急速に進化し、使い慣れる前に新製品が登場する。新しい物を使えば使うほど、わずか一世代前の製品でさえ不便に感じてしまう。このサイクルは確実に加速している。

まお
まお

そうだね・・・

システム屋として、効率化や利便性の向上を提案することは仕事の一部だ。仕事や生活面での合理化は歓迎すべきことだと思う。

でも、娯楽や趣味の領域では、あえて「不便」を選択することに価値がある。

例えば、最新のスマートフォンでは高品質な写真が簡単に撮影できるが、趣味で写真を楽しむ人々は、あえて一眼レフカメラを選ぶ。さらには、露出やシャッタースピード、フォーカスを手動で調整する必要があるフィルムカメラを愛用する人もいる。

この「不便さ」には独特の魅力がある。

自動車愛好家が、最新のオートマチック車ではなく、マニュアルミッション車を選ぶのも同じ理由だ。コンピュータ制御に全てを委ねることへの違和感は、システム屋である自分でさえ感じることがある。

メカニカルな操作感や、それを使いこなす技術は、今でも特別な価値を持っている。

まお
まお

わかる気がする

結局のところ、人生の面白さは、ある程度の不便さの中にこそ存在するのかもしれない

便利な世の中だからこそ、あえて手書きのラブレターを書くような、アナログな行為に新しい価値が生まれる。

完璧な利便性を追求するのではなく、適度な不便さとの付き合い方を見つけることが、現代を生きる知恵なのかもしれない。

(了)

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