1980年代後半から1990年代。昭和50年生まれの僕が青春を謳歌した時代は、まだ社会が成熟しておらず、理想と現実のギャップというか、全てがアンバランスで、今にも崩れそうな危うい社会だった。
あの頃は良かったなんて言わないよ
みんなが不満や不安を抱えていたけれど、枯渇している欲望を満たすために必死に生きていた時代だったような気がする。「昔は良かった」なんて親父くさいことを言いたくはないし、今より良かった時代だったと言えるほど良い記憶もありません。
だけど、振り返ると多くの人が必死に生きていた。
活力があったよね・・・
「良い生活を送りたい」という単純な欲望に駆られ、理想の生活を手に入れるという夢のために必死に走っていた。それは僕や周りの人間だけではなく、日本という国が必死だったんだと思う。
昭和の終わりから平成初期
昭和50年生の僕が知っている昭和・・・思春期に入る前までの短い期間だったけど、そんなに裕福な時代ではなかった。もちろん、田舎の小学生だった僕が触れていたせまい世界の話だけど。
なんか貧乏くさかった・・・
今、振り返ってもテレビを通して感じた大人の世界も今より貧相だったと思う。バブル絶頂の世界・・・小僧だった僕が憧れていた大人の世界は全然スマートじゃなく、ギラギラした欲望丸出しの世界。
なんていうか、汚い大人。ノーパン喫茶、ノーパンしゃぶしゃぶ、トルコ改め、ソープランド・・・。お姉さんたちが乳やパンツ丸出しで踊り狂うジュリアナ東京。
ドラマでもドロドロの不倫劇、高校生と教師の禁断の恋・・・アイドルはおっぱいを強調していたし、あわれもない姿で振るお尻がテレビで放映されていた時代。
君の記憶は、全部エロ・・・
生物として必要な欲望でしょ?
生活に余裕があるようには感じなかった。ただ、必死になって楽しんでいたような気がする。
欲望丸出しの社会
満たされない欲望を手に入れるために誰もが必死に生きていた。金と名声を手に入れるため、気合と根性・・・そんな時代に育てられた昭和の古い親父です。
隠すことのない欲望♪
僕たちは、何もないのが当たり前だったから、作り出すというか、工夫というか、あきらめが悪い。
お金がないのはしょうがない。だったら「稼ごう」「働こう」。女子とイチャイチャしたい。だから自分を磨こう。と前向きな社会だったような気がする。僕のイメージだけど・・・。
がむしゃらに仕事をして、ガンガン遊ぶ。仕事なのか、プライベートなのか、そんな切り分けなんてなく、出来ることをやる。
確かに・・・。みんな必死だったかも
良いか悪いかは別にして「他人より稼ぎたい」「ライバルには負けたくない」とギラギラしていたし、そんな欲望を隠すことなく、丸出しにしていた大人たちを見て育った。
それは仕事だけでなく、恋愛も一緒で男女共にモテるために必死だったんだよね。化かし合い。欲望丸出しの世界・・・。
必死になるのが普通だった
欲しいものがあるけど、なかなか手に入れられなかったから、みんな必死だった訳で、ガムシャラに頑張ることがカッコ良かった。
スマートではないけどね
「昔は良かった」なんて言う気は、全然ないけど、スマートに何でもする必要性を感じない。
「失敗したらカッコ悪い」とか「うまくやろう」なんて考えない。必死になってやってみる人が多かった。そして、そんな人たちを見て、憧れていたのも事実です。
口では「ムダなことはしたくない」なんて言いながらも、内心はムダなことをしないと成功しないということを理解している。そんな矛盾を抱えながら、必死にもがいているのが現状です。
現状に満足してしまったら終わり
何が言いたいのかをまとめると、現状に満足してしまったら、これ以上良くなることはない。より良い生活を手に入れたい。もっと楽しんで生きたい。と思うこと・・・欲望にまみれて生きることが大切なのです。
そんなことはない・・・と思う
別に、欲望もなく、やりたいこともないという人間を否定する訳ではありません。反対にリスペクトしちゃう。
僕の場合、あれも欲しい。これも欲しい。もっと欲しい。もっともっと欲しい。
欲望のかたまり・・・
欲しいものを手に入れるためには、それなりの努力は必要なんです。
この世は人間の欲望と感情に支配されているのだ。
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