空気を読んだ行動が苦手なゲスブロガーひらめ(@hirame18jp)です。
民主主義、現在の日本は多くの人の幸せを重視するためにマジョリティ(多数派)の意見が正しいという社会です。
もちろん、独裁国家ではない日本は、何かを決め、行動をする場合は多くの人間が幸せになるような社会にするのが正義です。
そんな世の中で生きて行くためには、周りの人と折り合いをつけて意見を合わせる。自分の価値観、本音なんて、表には出さず、建前だけで生きていれば誰とも摩擦が生まれず、いつまでも安泰・・・。
そんな訳はない。
そもそも民主主義が成立するのは、そこに属する人間がそれぞれ判断をし、自分の意見を持っていることが前提で、何も考えていない人間ばかりで、空気を読むことだけに長けることが正義だと思っている人間ばかりだと民主主義は崩壊します。
この記事では、多数決が正しい意見ではない理由、常識を疑うことの大切さについて解説をしていきます。
同じ意見の人が集まっているから「自分は正しい」と思うことは危険なことです。本当に、その意見が正しいかを自分で判断することが大切です。
自分で考えよう!
多数派の意見が正しいとは限らない理由
多数派の意見が正しいという妄言を信じて、考えることを放棄した人間が多いと多数決という民主主義は崩壊します。
日本人の多日本人は心の奥底で「違うかも」と思っても、周りの意見に合わせてしまう傾向があります。
つまり、現在の日本では、多数派が正しいと理論は成立しません。
日本人の多くは「本音」と「建前」を使い分けて生活をしています。そして、心の中では「間違っている」と思っていても、みんなが正しいと言っているなら「正しい」のだろうと考えて、大多数の賛同する人間ばかりです。
反吐が出る・・・
言い方に気をつけなよ
日本では察する文化が正義で、他人、権力者の意見に反対する人間は「ガキだ」や「狂人だ」というレッテルを貼られ、社会では「クズである」と認識をされてしまいます。
日本には「空気を読む」という気高い文化があり、他人の意見を否定してまで、自分の意見を言うことを躊躇う人間が尊敬されます。
他人との関わり合いを大事にする文化ね…
空気なんて読む必要なんてない
もちろん、社会とは他人との関わりなので、余計な摩擦を起こす必要はありません。
ですが、自分の意見を押し殺してまで、周りに合わせる人間が多く、必要な摩擦が起こらないので一見、良い世の中に見えますが、蝕まれている腐った世の中になっているのに、気づいていません。
多数決の前提条件
多数派の意見を尊重するシステムの前提条件は、参加者が自分の正義を持っている人間であること。
お互いの正義について議論をし、一番多くの人が幸せになるシステムが民主主義です。
僕も自分のこだわり以外のとき、どうでも良いと思っているときは、議論に参加しないで傍観者になります。
なので、意見がないヒトが悪いと言っている訳ではなく、世間はそんなモノ。
半数以上の人に意見がなく、実際に議論しているのは全体の2〜4割程度です。
その他大勢・・・議論を傍聴している6割以上の人たちは、どちらの意見につくかを考えています。もしくは、何も考えていません。
この割合はどんな集団でも変わりません。仲間内でも、会社でも、自治体、国家でも・・・
言われると確かに・・・
真剣に議論なんかしてないよ
さらに人間の考え方の基本は、自分の欲望を満たす意見、感情的に嬉しい、楽しい意見を選択してしてしまうのです。自分の意見がある場合は除き、何もこだわりがない選択は欲望と感情に左右されます。
簡単にいうと、自分がラクできる意見、得する意見に賛成します。
議論に参加しない6割以上のヒトは無意識のうちに「欲望」と「感情」によって意見を選択します。その意見が、常識的に間違っていても自分に害がない方を選択してしまいます。
困ったことに「自分がラクできる意見」を選択した人は「正しい意見」だと勘違いをしてしまうのです。
これが多数人の意見が間違ってしまうメカニズム。
間違った意見が正義になる流れ
間違った意見が正義になるにはふたつの要因があります。特に自分の意見を伝えるのが苦手な人間が多いコミュニティでは、間違った意見が正義になってしまいます。
その要因とは
正しい意見でも、自分に取って損をする場合や感情的に嫌だと思った場合は、その意見が正しいと認識することは難しい。
つまり「損をしない意見」を無意識に選んでしまいます。
そして厄介なことに「本人たちは欲望や感情で選択したことを認識していない」ことです。
ちょっと難しいんだけど、脳が錯覚をしているので本人たちは、正しい意見を選択したと思ってしまいます。
そして「空気を読む」ことが日常になっている日本人は少数派の意見に賛同することは、ほとんどありません。
意見が正しいか、間違っているかは、あまり重要ではありません。その他大勢の欲望と感情を獲得できる意見が多人数の意見になってしまうのです。
待て待て、ヤバいじゃん!?
ヤバいんだって
例えば、ヒットラーとか独裁者と呼ばれる人は、この法則を知っているので民衆(その他大勢)の欲望を満たすことを言ったり、感情を揺さぶることを言って煽動しました。
そこまで大きな話ではなくても、どんな話し合いでも同じ現象が起きています。つまり、多人数意見が正しいとは限らない。間違った意見でも多人数意見になってしまうことがあります。
多人数意見が正しい訳ではない
多人数の意見が正しい訳ではありません。間違った意見でも、意見がないヒト(全体の6〜8割の人)を取り込んだ意見が多人数の意見になってしまいます。
みんなが議論して決めた意見であれば、尊重する必要がるんだけど、その場にいる全員が真剣に考えているなんて現実的にはあり得ない。
そうすると声の大きい(立場が上の)人の意見、自分ににとって魅力的(ラク)な意見が多人数意見になってしまいます。
なんか、わかる・・・
実際に周りを見ると・・・ね
その意見が正しいか、間違っているかは関係ありません。
無責任に思うけど、全てにおいて意見を言える知識があり、判断ができる人はほとんどいません。
常識を疑え
残念なことに、多人数意見だから「自分は正しい」と勘違いしてしまう人間が思っている以上に多く、日本の民主主義は崩壊が始まっています。
第三者から見るとキチガイみたいな意見でも本人たちは正しいと思っている。
言い方に気をつけろ!!
いつになっても解決しないブラック企業問題だってそうだし、部活でのパワハラ、不祥事もそう。ハタから見るとあり得ないだろと言うことが閉塞されたコミュニティでは平然と行われています。
そんなコミュニティの中には反対意見を言うヒトがいない。または、判断意見を言っても多人数意見にはならない。
その他大勢は、反対意見に賛成することで、会社に居られなくなるとか、暴力の矛先が自分に向くんじゃないかとか、損得勘定をして損をしない意見に賛成します。
クズばっかりさ
そうなると元に戻れないトコロまで転げ落ちてからじゃないと気づくことはありません。
自分で考える能力が必要
何も考えていないヒト、考えられないヒトは多人数の意見が自分の意見だと勘違いしてしまう。そして同じ意見の人が周りにいるからと正しいと思ってしまう。
一見、多人数の意見は、正しい意見のような錯覚を受けてしまいますが、間違っていることがあります。
本当に正しいのかを判断するのは自分。他人の意見に流されていると間違った選択をしてしまう。
目先のことを考えて、自分に取って良い意見だと思っても間違っている意見だと後々、大きな問題になりかねません。
自分に取って良いと思っても、会社の存続に関係することかも知れないし、家族や身内を不幸にする選択かも知れない。そうならないためにも、自分の意見を持てるようになりましょう。
偉そうに言っているけど、僕もまだまだ修行中です。笑
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