他人に教えるのは躊躇うような趣味ばかりの、ひらめ(@hirame18jp)です。
どんな趣味なのっ?!
ある女性に言われた言葉ですが、趣味がない男性はつまらない人間だそうです。
ご趣味は何ですか?
えっ、趣味?!
趣味を聞かれて困った経験ってありますよね。他人に自慢できるような趣味を持っていれば、万々歳ですが、趣味がなかったり、誰にも知られたくない趣味・・・だとすると困惑してしまいます。
あなたには他人に自慢ができる趣味はありますか。
ないものだと認識をして話を進めますね。
勝手に決めつけるのね・・・
特に中年男性であれば、会社というゆるい檻で束縛を受け、家族という足枷をつけ生きています。なので、好き勝手に趣味に没頭するという贅沢な時間を手にできる余裕など皆無のハズです。
大変だよね・・・
恥じることなんてありません。少ない小遣いで薄くなった髪の毛をどうやって増やすか、AGAをするために数千円/月をどうやって捻出するかを考えて生きるのが普通です。
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中年親父は無趣味でも、どうにかして人生を楽しもうと健気に生きています。
趣味がない男に魅力がない理由
趣味がないと魅力がないなんて、そんな中年親父の生活を冒涜するような話ですよね。
無趣味だって楽しいんだよ!
ちなみに、趣味がない人が、つまらない男性だと認定される理由も聞いてみました。
仕事ばかりをしていて、熱中できるものがない男には魅力を感じない。そもそも趣味がない男性は、仕事以外で学びが少なく、他人の気持ちが分からず人間的に未熟であることが多い。
さらに、趣味を通して多様な価値観に触れ、人間としての器というか器量がついていくのに無趣味な男にはそれが足りない。女性を口説くにも真剣すぎて怖い・・・。
待て待て〜。グサグサと痛めないで・・・
もちろん、趣味がなくても人間的にできている男性もいるけど、趣味がある男性の方が圧倒的に視野が広く柔軟で、何よりも人生を謳歌しているようで魅力的だそうです。
関連記事:趣味のない男が風俗にハマる理由
つまり、無趣味な男は人生を楽しんでいない。言い換えれば、無趣味な男は生きている価値がないと言われているような気がしてしなりません。
無趣味な男性の中には、仕事が生き甲斐だから「プライベートなんて必要ない」というモーレツ社員、24時間働くビジネスマンの方もいます。
無趣味でも仕事人間であれば、一笑に付すことも可能なのですが、僕は自他共に認める仕事嫌い人間なので、笑うに笑えません。
つまり、言われた通りの人間で、クソつまらない生活を送っているので、ぐ〜の音も出ません。
凹むよ・・・
ここまでボロクソに言われると無趣味である男は、生きている価値がないような錯覚を覚えてしまいます。なので、他人に自慢できる趣味について考察をしたいと思います。
この記事では、本当は趣味があるのに言えなかった「僕の趣味」について、さらに他人に自慢できる趣味の探し方、もしかしたら無趣味だと思っていたけど、他人から見たら趣味になるかもしれないことについて考えます。
無趣味で、人間的な魅力がない男性の勇気になれば良いと思い、僕の恥ずかしい趣味についても解説しています。笑い飛ばして貰えれば、幸いです。そして、ひとつだけお願いがあるのですが、読んだ後に引くのは問題ないのですが、間違っても、誹謗中傷なんてことはしないでください。
無趣味な男にも趣味がある
なかなか、女性には言えないというか、同性でも他人には言いにくい趣味というものがあります。例えば、性欲が抑えられない男らしい男性であれば、自分を自分で慰める行為が趣味なんてこともあると思います。
おいっ、変態!!
さすがに、そんな趣味はオープンにする必要はありません。色々な手法や使用する道具、ネタによる興奮度の違いなど、語りたい衝動は抑えてください。
というか絶対に秘密にしてください。比較的、寛容な僕でも、ひく・・・。
だから、絶対に自己開示なんてしないで貰いたい。
間違っても履歴書には書かないこと
ちなみに、僕のプライドのために言っておきますが、僕は自分で自分を慰める性欲も、趣味もありません。
本当?
想像するな・・・変態っ!
そんな僕が、他人に言えないと思う趣味とは『マンウォッチング』と『妄想』のコンボ技です。
この趣味は物心ついた時から継続しているので、経験で磨かれた知識とセンスは超一級で、ある意味、変態の域に達しています。
ですが妄想が過ぎるので、一般の方からはひかれると認識している。
妄想かあ・・・。自慢できないね
繰り広げられる妄想
街中や電車で他人を観察し「この人は、おそらく会社の同僚で気持ちよくお酒を飲んで、今はいい気になっているけど、家で待っているのは、アナゴさん(注:サザエさんの登場人物、マスオさんの同僚)の奥さんみたいに怖い人で、鍵を閉めれられ、玄関の前で『ごめんよ〜、断れない飲み会だったんだよ〜』なんて謝るんだろうな」とか・・・
「この超絶綺麗なお姉さんは内心『男なんて私の魅力でイチコロよ♪ ワタシには、寄ってくる男達がたくさんいる。だけど、そんな恋にも飽きたわ。私が追いかけたくなるような素敵な男はいないのかな』と頭の中で思っていて、偶然、僕と目が合ったら僕に惚れてしまい、モーレツにアタックしてくるかも知れない」なんて、一人で妄想を繰り返しているのです。
・・・
通勤電車で仏頂面をして、スマホを弄っている中年親父の頭の中で、こんな妄想が繰り返されているのです。
困ったことにいい歳こいたおっさんなのに、まるで童貞青年のような卑猥な妄想で頭の中をいっぱいにしているのです。
変態・・・
ホラ引いた・・・
なので、僕の趣味は他人には間違っても悟られてはいけない趣味だと認識し、趣味がないと答えているのです。
そもそも趣味とは何なのか
そもそも趣味とは必要なんでしょうか。毎日それなりに忙しく生活をしていると趣味なんて、入ってくる余裕はありません。
金銭的な余裕も、時間的な余裕も、精神的な余裕もないのに、わざわざ趣味に時間を割く必要性は感じません。
開き直ったね
趣味を持ち、好き勝手に遊び狂うには、それなりの犠牲が発生します。
例えば、ゴルフなんていう高潔な趣味を楽しむためには、時間的、金銭的な余裕に加えて、思い通りに身体が動かず、悔しい思いを堪える精神的な余裕も必要です。
趣味とは人生における遊びであり、世知辛い世の中を生き抜くために必要な息抜きです。
強者だけが楽しめる社会で、弱者は忍耐を強いられ、楽しむことも許されず、社会の駒として生きる。
という世間の常識を覆すための行為です。誰にでも楽しむ権利があるのです。
どういうこと?
趣味は平等なんだよ
僕はこの記事を書きながら、真剣に趣味について考えている訳ですが、ひとつの答えが見つかりました。
趣味とは、人生を謳歌するために必要な遊びで、自分には余裕があるという自己肯定感を上げるために必要な行為なのではないでしょうか。
趣味は、効率的に生きるのが正解だという風潮に逆行する行為で、金銭、時間、体力、精神を削り、一見無駄に思える行為です。
そして、自分は無駄を楽しめる余裕が有ると認識をするために必要不可欠なのが趣味なのです。
関連記事:風俗という趣味について真剣に考える
他人に自慢出来る趣味
世間では「俺って凄い」という根拠のない自信、もとい自己肯定感が無ければ生きては行けないという論調が主流です。
つまり、趣味を持ち、趣味を楽しめる余裕が有る人間だと感じるために、趣味を持つのです。
加えて、趣味は、個人で楽しむだけではなく、多くの人に見せびらかすことが重要です。先程のように他人には知られたくない趣味というのは、趣味として認められないだけでなく、知られることによって蔑まれ、社会から抹殺される危険性が伴います。
確かに・・・
多様化が叫ばれ、個人主義、自己責任の世の中でも、他人との関わりを一切捨ててサバイブすることは非常に困難です。
一介のサラリーマンが、一人で生きると足掻いた所で生き残ることは不可能です。
多様化が叫ばれる現代ですが、他人に承認されない趣味は、公にしてはいけません。社会から抹殺される危険性が高い。
さらに、無趣味で有ることが人間としての評価を下げる理由になるのであれば、承認欲求を満たすためにも、他人に自慢出来る趣味を見つけなければなりません。
なんか、必死だね・・・
同じ金額、時間、精神や体力を削り行うのであれば、リターンを求めるのがビジネスマンとして基本です。
犠牲を払うのであれば、出来るだけ多くの人から羨望の眼差しを浴び、崇められるような趣味を見つける必要がある。
ここまでの話をまとめると、趣味とは自己肯定感を高め、さらには承認欲求を満たし、自己の成長のために必要不可欠な行為ということになります。
無趣味な中年の趣味探し
『人生100年時代』になると、今でも潰すのが大変なのに、今以上に潰さなければならない時間が増えてしまいます。
なので、意識が高い中年親父の中には、老後のために「今から趣味を始めよう」なんていう人がいます。
ですが、40代から100歳まで続けられる趣味というのは、一見効率的のように感じますが、ほぼほぼ不可能だと感じています。
例えば、盆栽。
なぜ、盆栽?
お年寄りの趣味といえば『盆栽』ですよね。比較的ポピュラーで、海外の方にも人気の『ボンサイ』を知らない人はいません。
磯野家の庭にも、ドラえもんの空き地の隣に住むカミナリさんの庭にもある日本のトラディショナルな趣味です。
日本人の心だよね
今から始めれば、年配になった時、その道の玄人として認められる経験が積めます。
引退後は『盆栽マスター』としてブイブイ言わせる可能性が高い。
今までの人生と同じ時間を捧げれば、多少サボりながらでも経験と知識が蓄積され、周りからチヤホヤされる地位に上り詰めることができるでしょう。
だけどちょっと待って欲しい
ですが、周りの人間、同年代の人たちが同じ興味を持つまでには、しばらく時間がかかりそうです。
つまり、今現在に趣味を聞かれて「盆栽です。うちの五葉松の枝振りが良いんですよ。あ、ちょっと写真見ますか」
と嬉しそうにスマホを開き、自慢の盆栽の写真を見せながら
「この、この枝、この枝の角度が最高じゃないですか。これからは全体のバランスをみて、こっち、この枝ね。この枝を伸ばそうと思っているんだ・・・」
なんて話をしても誰もついて来れません。
老後の趣味を考慮する必要はない
大切なことなので、もう一度言わせてもらいますが、、趣味とは自己肯定感を高め、さらには承認欲求を満たし、自己の成長のために必要不可欠な行為です。
周りに承認をして貰えなければ、自己成長をしようとは思えません。
もしかしたら、盆栽が趣味の中年親父と盛り上がれる人がいるかもしれません。ですが、出会える確率はとても低い。
盆栽が趣味の人に出会う前に老後を迎えてしまいます。
かと言っても、どうせなら、老後まで続けれる趣味と考えると運動は除外されてしまいます。例えば、サッカーやフットサルなどと言う趣味はそろそろ体力的に限界を迎えてしまいます。
若かりし頃のイメージと実際に動いている身体に発生するギャップがあり、とても続けることが厳しくなって来ています。
続けていれば大丈夫ですよ
音楽、楽器などの趣味は老後でも続けられる趣味のような気がしますが、モチベーションを保つのが大変です。
そもそも楽器は一人で弾いていても楽しくはありません。誰かとセッションを行ったり、発表会のように誰かに聞いて貰えなければ、いくら上手に弾けるようになっても意味がありません。
学生時代のようにバンドを組んで学園祭で披露する。ライブに出演するなどのイベントがなければ練習をするモチベーションは保てません。
老後も楽しめる趣味という縛りがあると見つけるのが難しくなってしまいます。
こうやって考えがまとまらずダラダラと文章を重ねているのですが、ふと頭に良いアイデアが浮かんできました。
究極の趣味は『趣味探し』ではないだろうか
趣味探しを趣味にする。自分探しではありませんが、一生を懸けて趣味を探すことを趣味にするというのは、どうでしょうか。
何を言い始める?
趣味探しをしている時点でやりたいことがないのであって、興味関心が薄いクソつまらない大人になってしまった自分に幻滅し、自己嫌悪に陥ってしまいそうですが、逆手にとって見るのです。
趣味探しを趣味だと言い切れば、一生楽しめるのではないでしょうか。
なんとなくですが、履歴書の趣味の欄に「趣味:趣味探し」なんとなくあり・・・
まだまだ、真剣に趣味探しを続けたいのですが、長くなってきたので、この辺で・・・
中途半端じゃない?
疲れたよ・・・
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