就職氷河期世代の悲惨な現実!運よくサバイブできた理由

ラクに生きる方法

現在五〇歳前後の僕たちの世代は、「就職氷河期」という言葉に象徴される悲惨な社会環境の中で、まさに生存競争を強いられてきました。社会の冷酷な現実に翻弄ほんろうされ、まるで氷河期を生き抜く生物のように、生き残るための闘いを続けてきたのです。我ながら「よく生き残れた」と感心しています。

まお
まお

確かに・・・

今考えると、僕らの世代はサバイブを余儀なくさせられ、生き残った運のいい人間と、戦いに敗れ、不本意ながらも奈落ならくの底に突き落とされた人間に分けられました。そして、運よくサバイブ出来ている僕は「現状維持は衰退だ」と認識をしています。つまり、人生を諦めるまでは走り続けないといけないと認識しているし、おそらく走り続けると思います。というか、走る続けたい・・・

もしかしたら誰にも認められないかもしれません。でも、それは価値観の違いで、基盤が時代を過ごしてきたから、好きとか嫌いとか関係なく、僕は、そうやって生きなければならなかったんです。別に、僕が、凄いとか偉いとかは全然思っていません。少しは褒めて貰いたいとは感じているけど・・・。

まお
まお

思っているでしょ?

ひらめ
ひらめ

少しね・・・

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氷河期世代が直面した悲惨な現実

就職氷河期世代の悲惨さは、単なる就職難だけではありません。社会システムそのものが、僕たちを見捨て、未来への希望を奪っていったのです。運よく、就職が決まった後も、悲惨な地獄が待っていました。今でこそ、パワハラだ、モラハラだ、セクハラだと騒がれるようなことが、日常茶飯事的に、あたかも、当たり前のように行われていたクソみたいな時代です。

まお
まお

そうだね・・・

体育会系の上司たちは、自分たちが若かった頃の厳しい職場環境を美化し、新人たちへの抑圧的な態度を正当化していました。彼らは、自分たちが耐えてきた苦難を、今の若手も同じように経験すべきだと信じていたのです。残業は当然、休日出勤は美徳、そして個人の人権や感情は完全に無視される。まるで人間性を剥奪されたロボットのように扱われていました。

ひらめ
ひらめ

悲惨だった・・・

給与は低く、将来の展望は見えない。正社員になれたことへの感謝を盾に、どんな非人道的な扱いも我慢させられました。メンタルヘルスという言葉すら存在しないかのような職場環境で、多くの同世代の仲間たちが、や燃え尽き症候群に苦しみました。

上司からの暴言、理不尽な仕事の押し付け、個人的な時間の完全な侵害。これらは単なる職場の慣習ではなく、組織的な人権侵害でした。誰かが異議を唱えれば、即座に「甘えている」「悲惨・・・」とレッテルを貼られ、職場から排除されるリスクがありました。

非正規雇用と低賃金の悪循環は、僕たちの人生設計を根本から覆してしまいました。かつての安定した社会システムは、僕たちの世代には全く機能していなかったのです。それでも、僕たちは必死に生きてきました。むしろ、この過酷な環境が、僕たちの世代に強靭な精神と変革への意志を植え付けたのです。

自分の頭で考えることを強いられた世代

僕たち氷河期世代は、クソみたいな社会で生き残るために「自分の頭で考える」ことの本質的な価値を学ぶしかありませんでした。上司の言いなりになっていたら、命がいくつあっても足りないほどの理不尽な要求に押しつぶされていたはずです。「会社のため」という空虚くうきょなスローガンの下、僕たちは常に自分の意思と判断を磨かざるを得なかったのです。

誰かの考えに無条件で従うことのリスクを、身をもって理解している僕たちにとって、批判的思考は生存戦略そのものでした。上から押し付けられる価値観や命令に、常に疑問を持ち、自分なりの解釈と対応を模索することが、生き残るための必須スキルとなったのです。

まお
まお

そうかも・・・

この経験は、単なる職場での生存テクニックを超えて、人生そのものを見る目を鍛えてくれました。盲目的な服従ではなく、自分の頭で考え、判断し、行動する。それが僕たち氷河期世代に課せられた、厳しくも貴重な教訓でした。表面上の同調や、空虚な権威への盲目的な従属を拒否し、常に自分の内なる声に耳を傾ける。これが、僕たちの生き方の本質となったのです。

皮肉なことに、過酷な社会環境が僕たちに与えた最大の贈り物は、この批判的思考能力かもしれません。誰かの言いなりになることの危険性を痛いほど知っている僕たちは、今では自立的で柔軟な思考を持つ世代として、社会に変革の風を吹き込んでいます。自分の頭で考え、自分の人生を主体的に選択する。それが僕の誇りであり、生きる証なのです。

生き残るための戦略と、その代償

僕が生き残れた理由は、単純に運が良かったからではありません。それは、極限の状況下で鍛え上げられた、生存のための知恵と戦略があったからこそなのです。

僕は生存戦略の一つとして、徹底的な自己投資を行いました。誰も助けてくれない、世の中が味方しない状況で、唯一頼れるのは自分自身だけ。だからこそ、僕は休日返上で必死にスキルを磨き続けました。当時は今のようにオンライン学習の環境もなく、専門書は高価で、セミナーや講座への参加も容易ではありませんでした。それでも僕は、古本屋を漁り、わずかな貯金を削って専門書を購入し、通勤電車の中、深夜の時間を利用して必死に学びました。

まお
まお

そうなんだね

それは僕だけではありません。令和の今、それなりに社会で活躍している人間は、大なり小なり自己投資をして、自らの武器を磨いてきたのです。

もう一つ重要だったのは、人脈づくりです。「自分の居場所」を見つけるために、僕は必死にコミュニティとつながろうとしました。当時は今のSNSもない時代。リアルな人間関係を築くことは、生存のための重要な戦略でした。

同じ境遇の仲間と出会い、情報交換し、時には励まし合う。そんな小さなコミュニティが、孤独と絶望から僕たちを救ってくれました

妥協と戦略的な忍耐

生き残るためには、時に尊厳を少し譲歩させる必要もありました。完全に自分の理想を貫くことは不可能。だからこそ、戦略的な忍耐が求められたのです

上司の理不尽な要求にも、表面上は従いながら、内心では自分の信念を保ち続ける。一見矛盾しているように見えますが、これこそが氷河期世代の生存戦略の神髄しんずいでした。表面上の同調と、内なる抵抗。この二重構造が、僕たちを精神的に守ってくれたのです。

次世代への伝言

若い世代に伝えたいのは、「諦めないこと」です。今の社会システムは、氷河期世代の苦難と犠牲の果てに少しずつ変わってきました。しかし、まだまだ道半ばです。

パワハラのない職場、個人の尊厳が尊重される環境、柔軟な働き方。これらは、僕たちの世代が血と汗で勝ち取ってきた権利です。若い世代には、さらにその先を目指してほしい。僕たちが築いた基盤の上に、より人間的で、個人の可能性を最大限に引き出せる社会を創ってほしいのです。

まお
まお

そうだね

最後に

振り返れば、氷河期は決して僕たちを駄目にしませんでした。むしろ、より強靭で、したたかで、そして何より人間性に溢れる世代に鍛え上げてくれたのです。

今、五〇歳前後の僕たちは、まさに社会変革の真っ只中にいます。かつての「失われた世代」と呼ばれた僕たちが、今や日本社会の中核を担っているのです。残念ながら、僕たちは報われることはない世代です。それでも、僕たちは、世の中に唾を吐き、これまで通りしいたげられながら生き続けるしかありません

ひらめ
ひらめ

ロックに生きよう

人生は、与えられた環境ではなく、どう対処し、どう生きるかで決まる。それを身をもって証明してきたのが、僕たち氷河期世代です。これからも、気張って生きていきましょう。

自戒を込めて。

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