就職氷河期世代の僕たちは、なぜ普通になれなかったのか

コラムという名の雑記


僕たちの、名もなき戦いの物語、それが『就職氷河期』と呼ばれる時代でした。

いや、あの時代を「就職氷河期」なんて呼ぶのは、少し違うのかもしれません。凍てつく寒さだけはありませんでした。同時に、何も手に入らない砂漠でもありました。未来も、働く場所も、社会からの期待も、全部・・・。

僕たちの就職活動は、足元を照らす光や羅針盤を持たずに、目的地も分からないまま、闇雲に彷徨さまようようなものでした。

大学の就職課に並んだ求人票は、ほとんどが空白。多くの企業は「採用ゼロ」の赤いスタンプで埋め尽くされ、募集をかけている会社も、求人票を見るだけで分かるブラック企業・・・。

合同説明会に行けば、必死に少ない席を奪い合う黒いスーツのライバルたち。そんな貪欲な人間を目の前に、気弱な僕は尻込みし、人波に押し出され、ブースの前で立ち尽くすしかありませんでした。

そして、数日後に届くのは「今回はご縁がなく…」。たった数行の、薄い紙切れ。でも、その一枚が、鉛のように重かったことを、今でも覚えています。

比較的、健気に生きていた僕でも、なんとなく流れる悲壮感ひそうかんに感化され、世界の終焉しゅうえんを真剣に信じていました。

OB、OG訪問で話をしたバブル時代に就職した先輩たちの笑顔は、僕の心を逆撫さかなでしました。

そんな就職氷河期世代の僕たちが「手に入れた」もの・・・。望んで手に入れたわけではありません。でも、気がつけば、いつの間にか僕たちの血肉になっていたがあります。

ひとつ目は「漂流しても生き抜く根性」です。正社員という普通の生活を手にすることが出来なかった僕たちは、沈まないように必死でした。派遣、契約社員、バイト、日雇い・・・どんな仕事でも、やれることは何でもやる。おぼれないように、もがき続けていました。

どんな環境でも、どうにかして食い扶持ぶちを見つけられる柔軟さ。それは、誇れるものではないかもしれません。だけど、どんな苦しい環境に置かれても、しぶとく、サバイブできる・・・そんな揺るがない気持ちを手に入れました。

ふたつ目は、「他人の痛みに気づける配慮」です。同期が派遣切りにあって、ネットカフェで暮らしていると聞いたとき、僕たちは「明日は我が身かもしれない」と悟りました。だから、誰かが落ち込んでいるとき、孤立しているとき、その痛みがわかるようになり、手を差し出す大切さに気づけました。

それは、優しさじゃなく、危機感から生まれたものかもしれません。でも、相手の気持ちを想像できる、大切な心のセンサーと困っている仲間を助ける勇気は何物にも変えられません。

そして、「しなやかな生存本能」です。

来月も仕事があるという保証は、一度もありませんでした。だから、節約したり、資格を取ったり、副業をしたりするのが当たり前だと思えるようになりました。

バブルを経験した世代が「リストラが怖い」と震えているのを見て、心のどこかで「僕たちは、奈落ならくの底から、這い上がってきたんだ」と静かにほくそ笑み、平穏より乱世を求めてしまいます。

反対に、時代が僕たちからもあります。あの時代は、僕たちの生活の基盤を奪いました。

いちばん大きかったのは、です。当時も今も、日本の社会は、新卒という切符を手にできた人だけを、じっくりと育てる仕組みです。その入り口で門を閉ざされたら、もう二度と戻れません。

僕たちの世代は、誰かに育てられることなく、四半世紀を過ごしています。世間の常識さえ、教えて貰っていません。

つまり、僕たち世代のは、他の世代からすると非日常なのです。普通の幸せを手に入れるチャンスも奪われたのです。

今では、誰からも期待されない世代になってしまいました。バブル世代は「即戦力」、ゆとり世代は「新しい価値観」。僕たちの世代は・・・「経験の薄い中年」です。期待されず、居場所も奪われてしまいました。

社会から見れば、僕たちは最初から「イレギュラーな世代」だったんです。誰も僕たちの人生に、特別な役割を期待していません。

時代に翻弄ほんろうされ、20代で築くはずだった土台がないまま、人生の時計は少しずつズレてしまいました。結婚、家、子育て・・・「そのうち」と言っている間に、あっという間に時間が過ぎ去りました。

そして、気づいたときには「そのうち」は、過ぎ去ってしまいました。

とは言っても、僕たちは他の世代に比べ、しぶとくサバイブするすべを身につけているはずです。

就職氷河期世代という肩書きは、僕たちを守ってくれる盾ではありません。未来を縛り付けてしまう重りです。

「僕たちは運が悪かった」となげいていても、誰も手を差し伸べてはくれません。きっと、見捨てられるだけで、むなしい想いをするだけです。

僕たちの世代は、自らの手で未来を切り開くしかないのです。

正攻法は必要ありません。世間一般的な人生の攻略法は、僕たちには通用しません。これまでの経験で学んだはずです。正面突破を試みても、邪魔されるだけです。だから、別の道を探す・・・。資格を取ったり、副業で実績を積んだり、人とのつながりを大切にしたり。

正々堂々、いさぎよく戦う必要はありません。泥臭くても、しぶとくても、カッコ悪くても、勝てば良いのです。見返してやりましょう。

お金も大切ですが、僕たちは大切なものを学びました。健康、人とのつながり、そして信頼。この3つは、年を重ねるごとに、お金以上の価値を持つようになってきました。

その大切さに気づけたのは、若いときから、不安に付きまとわれ、社会のを見極めて来たからです。

ひとりで戦う必要はありません。というか、ひとりで戦うのには疲れました。これからは、意識して横のつながりを作ろうと思います。

情報や仕事を、お互いに分け合えるような関係を築き、少しを通し、楽しんで生きていきたい。社会に見捨てられた僕たちだからこそ、お互いを支え合い、新しい関係を構築できるはずです。

最後に・・・僕たちは「失われた世代」なんて悲しい世代ではありません。正しく言うなら「選ばれなかったけれど、それでも必死に歩き続けてきた世代」です。

脇道、裏道、崖っぷち、それしかなかった道を、僕たちは必死で歩いてきました。その道で身につけた、しなやかさとしぶとさ、そして誰かの痛みに共鳴できる心。それは、温室で育った世代にはない、僕たちの確かな強みです。

僕たちの戦いは、まだ終わりません。これから先も続きます。ここで決意をしましょう。

もう時代のせいにはしない。残りの人生は、僕たちの覚悟にかかっている。

(了)

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