就職氷河期世代の僕たちは、なぜこんなにも生きづらいのでしょうか。
真面目に生きてきたはずなのに、普通の人生に辿り着けなかった。正社員、結婚、家、子育て…。当たり前だと思っていた未来は、気づけば遠い場所にありました。
僕たちの、名もなき戦いの物語。それが「就職氷河期」と呼ばれる時代でした。
でも、本当は少し違う気がしています。あの時代は、ただ寒かっただけじゃない。
未来も、仕事も、社会からの期待も、何もない砂漠でした。

夢も希望も・・・
大学の就職課に並ぶ求人票には、「採用ゼロ」の赤いスタンプ。合同説明会では、少ない椅子を奪い合う黒いスーツの群れ。面接を受けても返ってくるのは、「今回はご縁がなく…」という薄い紙切れだけ。
たった数行の不採用通知なのに、鉛みたいに重かったことを、今でも覚えています。
比較的、真面目に生きていた僕でさえ、当時は「世界が終わるんじゃないか」と、本気で思っていました。
バブル時代に就職した先輩たちの笑顔は、まるで別世界の住人みたいに見えました。
就職氷河期世代とは「普通」を失った世代
就職氷河期世代とは、1990年代後半から2000年代前半に、深刻な就職難を経験した世代のことです。
就職氷河期世代の僕たちは、大切なもの失いました。それは、お金でも、安定でもありません。
それは「普通」です。
当時も今も、日本社会は、新卒という切符を手にした人を前提に作られています。
正社員として採用され、先輩に育てられ、失敗しながら社会人になっていく。結婚し、家を買い、子どもを育てる。
そういう『普通の人生』です。

そうかも・・・
僕たちの世代は、その入口で門を閉ざされました。
求人がない。正社員になれない。やっと入れた会社はブラック企業。気づけば派遣、契約社員、アルバイトを転々とし「育ててもらう」という経験そのものを失っていました。
僕たちは、誰にも育てられなかった世代なのです。だから、世間の常識や、社会人としての正解さえ、独学で覚えるしかありませんでした。
それが、就職氷河期世代の僕たちが抱えている『痛み』なのではないでしょうか。
若い頃に諦めた「好きだったもの」を、中年になって取り戻そうとする人もいます。
就職氷河期世代が身につけた『しぶとい生存能力』
時代は僕たちから多くを奪いました。でも、その代わりに、嫌でも身につけたものがあります。
ひとつ目は「漂流しても生き抜く力」です。

何をしてでも、生きる
正社員という船に乗れなかった僕たちは、沈まないように必死でした。
派遣、契約社員、日雇い、深夜バイト…。コンビニの廃棄弁当を「今日は当たりだな」と笑いながら食べ、ネットカフェで暮らす友人を見て、「明日は我が身かもしれない」と思っていました。
どんな仕事でもやる。どんな環境でも生き延びる。
それは誇れる生き方ではないのかもしれません。
気がつけば、普通の人生を歩けなかった僕たちは、趣味や孤独と向き合いながら、中年になっていきました。
→ 「趣味は現実逃避でいい」
→ 「40代男性が孤独を感じる理由」
でも、僕たちは、生きるために現実へしがみつく術を覚えました。
氷河期世代は「他人の痛み」に敏感になった
もうひとつ、僕たちが手に入れたものがあります。
それは「他人の痛みに気づく感覚」です。

仲間は助ける
同期が派遣切りに遭った。突然、会社に来なくなった人がいた。生活が壊れていく人間を、僕たちは何度も見てきました。
だから、誰かが孤立しているとき、その空気に敏感になります。
「大丈夫?」と声をかける。
それは優しさというより「放っておいたら、自分も同じ場所に落ちるかもしれない」という危機感に近いのかもしれません。
でも、その感覚はきっと無駄ではありません。他人の痛みを想像できることは、氷河期世代の大切な強みだと思っています。
就職氷河期世代は、なぜ今も生きづらいのか
氷河期世代は、20代で築くはずだった人生の土台を失いました。
結婚、家、子育て、キャリア…。
「そのうち何とかなる」と思っていた時間は、気づけば、あっという間に過ぎ去っていました。そして今、僕たちは「経験の薄い中年」と呼ばれることがあります。

切ない・・・
バブル世代は「成功体験がある世代」。ゆとり世代は「新しい価値観を持つ世代」。
でも、僕たちは違う。
期待されないまま、気づけば中年になっていました。社会から見れば、最初からイレギュラーな世代だったのです。
それでも僕たちは、生きていくしかない
時代が悪かったのは事実です。

時代のせいにはしない・・・
あれは、個人の努力だけでどうにかなる時代ではありませんでした。でも、その傷を抱えたまま、残りの人生まで諦めたくはない。
正攻法だけでは勝てないことを僕たちは知っています。
真正面から戦えば、押し潰されることがあることを経験で学んでいます。だったら、別の道を探せばいい。資格を取る。副業を始める。人とのつながりを作る。小さくても、自分の居場所を作っていく。
泥臭くてもいい。カッコ悪くてもいい。
僕たちは、綺麗なレールの上を歩けなかった世代なのだから。
氷河期世代の僕たちは、「失われた世代」じゃない
僕は「失われた世代」という言葉が嫌いです。
僕たちは、消えたわけじゃない。
選ばれなかっただけで、それでも必死に歩き続けてきた世代です。脇道、裏道、崖っぷち…。そんな道しかなかったけれど、それでも僕たちは、生きることをやめませんでした。
そして、邪道を歩いてきたから、手に入れたものがある。
しなやかさ。しぶとさ。そして、人の痛みに共鳴できる感覚。

確かに・・・
それは、僕たちだけの武器です。
もう若くはありません。だからこそ、これからは一人で戦わなくてもいいと思っています。仕事も、情報も、人との縁も、分け合いながら生きていく…。社会に見捨てられた僕たちだからこそ、支え合えることがあるはずです。
これからは、一人で戦わなくてもいいと思っています。
僕たちの戦いは、まだ終わりません。もう時代のせいにはしない。
残りの人生は、僕たち自身の覚悟で、生きていくしかないのです。
(了)



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