僕の愛車は、1989年に登場した初代 ユーノス・ロードスター(NAロードスター)である。
製造から30年以上が経過しているクラシックカーで、不具合も多い。けれど、それも含めて魅力なのだ。

そんなに古いんだ・・・
現代の最新車と比べれば、快適性も安全性も装備も圧倒的に劣る。だが、唯一無二のデザインと「運転する楽しさ」は、いまも色あせない。
むしろ、不便だからこそ味わえる喜びがある。
もちろん、現代の車と比べるとアレもコレも装備されておらず、運転していると不便だし、不快に感じることが多々ある。だが、不便がないと楽しめないのである。むしろ、不便なロードスターだからこそ、楽しいのだ。
何にしてもそうだが、楽しむという行為は、時間と手間、または、お金を無駄に使うことで、便利であればあるほど、快適であればあるほど、楽しみというのは減少する。少なくとも、僕のこれまでの経験で、楽しいと思えることは、それなりに労力を必要とするもだと思っている。

そうなの?
端的に言うと『便利過ぎると面白くない』のだ。
どこぞの声の大きい快適至上主義者のせいで、世の中がどんどんと便利になり、苦労することなく、誰でもできるのが正義であるという、間違った価値観が蔓延し、楽しいハズの行為が、味気なくなってしまったのだ。

ほぅ・・・聞こうじゃないか
便利すぎる車はつまらない?

そもそも、趣味というのは、経済的にも、時間的にも、無駄なことを楽しむ行為であり、簡単に誰にでもできることは趣味にはなり得ないのである。
不便なことを知識と経験を用いて、どれだけ快適にするか・・・マイナスからプラスの状態にすることを楽しむのが趣味なのだ。

分かる気がする・・・
今の車は自動ブレーキや車線維持アシスト、オートライトなど便利機能が満載。確かに安心で快適だが、ドライバーがすることは減り、「移動の手段」に成り下がっている。
一方、不便な車は「移動そのものを楽しめる」。
エンジンをかける動作、クラッチを踏む感覚、ギアを選ぶ瞬間──すべてがドライバーの手に委ねられるからこそ、運転が「作業」ではなく「体験」になるのだ。
不便な車が与えてくれる楽しみ

趣味の本質は「無駄を楽しむこと」。便利で誰でも簡単にできることは、趣味にはならない。

無駄を楽しむ
思い通りにならない・・・不便なクルマだからこそ、自ら研究し、トライアンドエラーを繰り返し、上手くいった時の達成感に至福の喜びを感じる。達成するまでの道のりが険しければ、険しいほど、大きな喜びとなって跳ね返ってくるのだ。
便利すぎると作業になり、不便だからこそ喜びがある。
現代の便利な社会が奪ったもの

社会全体も同じだ。
「便利さ」を追求するあまり、人々は逆に余裕を失っている。

そんなことないでしょ?
もちろん、科学技術の発展の恩恵は、計り知れなく、いまさら、縄文時代のような生活を送れと言われたら、断固拒否をする。そういう話ではない。
世の中が便利になり、目まぐるしいスピードで時間が流れるようになり、牧歌的に楽しむ余裕がなくなってしまったのだ。僕が子どもだった昭和の終わりから平成のはじめ頃より、技術は発展し、苦労せずとも、誰でも同じような水準でできることが増えた。
ただ、便利になったのに、一向に余裕は生まれないのである。むしろ、何かに追われるような脅迫概念が芽生え、セカセカと動くことが正義のような錯覚に苛まれている。少なくとも、僕の周りの人間を見ると、余裕がないように思える。

そうかも・・・
だからこそ、趣味の世界くらいは「不便さ」を楽しみたい。
ユーノス・ロードスターが教えてくれる「操作する喜び」

ロードスターは、現代の車のように自動制御は一切ない。エンジンの始動からライトの操作、クラッチ、シフトチェンジ──すべて自分で行う必要がある。
この「手間」が、運転を儀式のように特別なものに変えてくれる。自分の技術ひとつで走りが決まる緊張感、機械を操る喜びになる。

至極、幸せだ!!
とは言え、僕は「あの頃は良かった」などと言う懐古的な性格ではない。便利な世の中で、その最先端を突き進むシステムエンジニアを生業としている。
どちらかと言えば、効率厨のところがあるし、無駄や手間を排他することに躍起になっている人間である。

言ってることが違う・・・
ただ、それは、誰もが面倒だと思う、厄介に思う作業についてであり、趣味や楽しむこととは別である。
不便だからこそ、楽しめる

何度も言うが、僕は生活がラクな方向に進歩・発展することは歓迎している。だが、『楽しみ』と言うのは、どれだけ手間と時間を掛けることができるかが、判断基準であるような気がしてならない。
自動運転が普及すれば、車はただの移動手段になり、運転の楽しさは完全に失われるだろう。しかし今ならまだ、不便な車を所有し、操る喜びを味わえる。
ユーノス・ロードスターのような「不便だけれど楽しいクルマ」は、近い将来、一般人には手が届かない価格になるかもしれない。
だからこそ、興味がある人は今が最後のチャンスだ。
まとめ:不便だからこそクルマは楽しい

もし「運転の楽しさ」を取り戻したいなら、ぜひ一度 不便な車 に乗ってみてほしい。
便利すぎる世の中で忘れかけた“余裕”と“遊び心”を、きっと思い出させてくれるはずだ。
(了)
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