僕は昔からよく思うことがある。趣味なんて、表向きは「教養」や「健康」のためとでも言うが、本音では、そんな崇高な想いなどない。
いや、正確に言えば、本音と建前は表裏一体であり、建前の裏にこそ、僕らの欲望が潜んでいる。
僕の過去の趣味は、ギター、スケボー、カメラ、バイクに車・・・全て、下心を抱いて始めたものばかりだ。意識の高い女子はともかく、男の多くは、みんな下心で行動している。

そんなことないでしょ?

間違いない!!
女子の仕草や呼吸・・・そんな些細なことのひとつにドキドキするのである。つい、目を奪われるのである。僕は、その瞬間をあえて趣味という舞台に求める。
これを悪いことだと責めるのは野暮だ。人生には、そんな小さな悦びが必要だからである。
あなたの趣味選びを、僕の妄想ブーストで背中を押す。

例えば、料理を趣味にしたとする。

料理が趣味の男性、素敵!!
もちろん、ひとり悲しく料理をして、満悦顔で舌鼓を打ち、幸せを感じる・・・なんてことはない。
目的は、女子に褒められたい。もしくは、女子と一緒に料理を楽しみたいはずである。
思い浮かべてみてほしい。暖かい日差しが差し込むキッチン。
オーブンから発せられる甘い香り、それは一緒に練ったクッキーの生地が出来上がる合図である。ふと隣を見れば、額に光る汗、鼻先に薄っすらとついた小麦粉を気にせず、真剣にオーブンを覗いている可愛い横顔。
何というか、まだ何もできていないのに、湧き出てくる達成感・・・隣に立つ女子の温もりが布越しでも感じられる。至近距離で嗅ぐ彼女からの香り・・・。
料理を作るという行為の向こうに、女子の息遣いと微かな香りがある。料理を趣味にするということは・・・そういうことだ。

味より気になる・・・

ヨガやピラティスを趣味にした場合はどうだろうか。ヨガマットの上で、女子たちが曲線美を強調するかのように、身体を反らす。
その背筋の曲線、肩や腰の動きに、呼吸が微かに乱れている。静かに整えられた空間の中で、息が絡み合う瞬間。
その中で、自らの身体に問いかける。集中・・・できるはずがない。漂うのは、うっすらと汗が滲む女子の香り。耳に入るのは、静かな息遣い。そして、目の前に広がる光景は・・・。

変態っ!!
誰もが「健康」と称する活動の裏で、心臓が高鳴るのを感じるのだ。少なくとも、僕は、その瞬間を逃さず見つめる。静かな呼吸とともに揺れる存在に、心を奪われる。

温泉旅行という趣味も良い。旅館の夜は格別である。畳の匂い、障子の向こうの柔らかい灯り、旅の疲れを癒す温泉。
そして、温泉からあがった後は、必然的に浴衣を着ることになる。湯上がりで火照った顔、しっとりと潤う肌、艶やかな髪の毛・・・。例え、知り合いでなくても、温泉宿で見かけた女子の姿に、旅の記憶より鮮烈な情感が宿る。
すれ違う程度でも、浴衣姿の女子とのふとした距離感に胸を掴まれる。文化の美は、こうして生身の身体に潜むのだ。

最高です!!

語学教室でも、妄想は膨らむ。たどたどしい発音、口元の動き、吐息に混ざる熱。学習の目的など二の次でいい。
距離が少し縮まるその瞬間に、心が反応する。一緒に学ぶ女子の横顔や声のトーンに、理性を忘れそうになる。こういう「偶然」の文化こそ、人生を面白くする。

勉強どころではない

少しおしゃれにカフェ巡りもある。カフェでの午後は、至福の時間だ。
周りを観察すれば、多くの女子たちの笑顔に出会える。ラテの泡を拭う指先、スイーツを頬張る仕草、ふと漏れる笑い声。写真やSNSに残すよりも、心の奥に刻むほうが価値がある。
静かに漂う香りと光の中で、彼女他との息づかいに耳を傾ける。そんな日常の中で、女子の小さな動きに心を奪われる。

・・・キモい

男性的な筋トレも楽しい。汗で光る肌、呼吸の乱れ、身体の曲線。息を弾ませ、汗ばむ肉体。
余計な脂肪を削ぎ落とし、それでいて健康的な肉付きの身体は、官能的というより、存在自体が芸術である。そこに宿る生の営みを体感することこそ、真の鑑賞である。
結局、男性が趣味を選ぶ理由は明快だ。自らの妄想を正当化し、現実に近づけるための舞台を自分で用意する行為だからだ。
下心は正当化するための方便ではなく、文化として、芸術として、人生の一部として味わうものだ。
我慢などせずに、欲望の赴くまま、自らが楽しめそうな趣味を見つけて欲しい。

やめろっ変態!!

ただ、相手を不快にするような行動をすると趣味は一気に崩壊する。趣味だけでなく、人生が終了する。ということを肝に銘じて楽しんで欲しい。
独りよがりの行動で、女子に迷惑を掛けるような行為だけは謹んで欲しい。

絶対だからなっ!!
趣味は人生を豊かにしてくれる。遊びの中に文化は芽生える。その小さな文化を見つけるために、僕は妄想を膨らましている。僕らの欲望は、文化の一部であり、人生の彩りなのだから。
(了)
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