責任転嫁する人の心理と対処法|自己責任時代を生き抜く覚悟とは

社会の話

自分の人生は、自分で切り開くものだ

あなたはそう信じていますか。世の中には「全て自己責任だ!」と声高に叫ぶ極端な考え方もあるけれど、それはあまりに窮屈で息苦しい。

でも、自分の失敗や、他人に迷惑をかけたことから目を背け、責任を誰かに押し付けてばかりいる人間にはなりたくない。僕はそう強く思っている。

ひらめ
ひらめ

かっこ悪い・・・

自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取って生きる

それが僕の人生の目標である。口で言うのは簡単だけど、現実はそう単純じゃない。

つい誰かに頼ってしまったり、甘えてしまったりすることもある。でも、少なくとも自分の行動に責任を持つこと、それは大人として当然の義務だと思っている。だから僕は、言い訳はしない。誰かや何かのせいにして、自分の非を認めないような生き方はしたくない。

ひらめ
ひらめ

難しいけど・・・

理不尽なことだらけの世の中だ。「僕のせいじゃないのに・・・」と心の中で叫びたくなる瞬間だってある。それでも、絶対に言い訳はしない。

「やれって言ったじゃん!」
「『こうしろ』って言われたんだけど」
「聞いてないし」

なんて、自分の失敗を他人のせい、社会のせいに転嫁して、責任から逃げ回る人間が、僕は何よりも嫌いだ。

「謝ったら負け」の呪縛

なぜ、人は自分の責任を他人に押し付けるのだろうか。

それは、「自分が悪かった」と認めることに対する極端な恐れがあるからだろう。謝ったら負け。そう信じているかのように、どんなに自分が明白に間違っていても、頭を下げようとしない。

まお
まお

いるよね・・・

先日、実際に目撃した出来事がある。

平日の昼下がり、歩道を自転車で走ってきた中年女性が、ベビーカーを押すお母さんと子どもに派手に衝突した。幸いにも大きな怪我はなかったものの、ベビーカーはひっくり返り、女性も自転車も路上に転がって、周囲は騒然となった。

どう見ても自転車に乗っていた女性が悪い。自転車は車道を走るのが原則だし、ましてやベビーカーとぶつかるなんて言語道断だ。ところが、その女性は転がった自転車を慌てて起こすと、平然とベビーカーのお母さんに向かってこう言い放った。

「どこ見てんのよ! 危ないわね!」

この期に及んで、まさかの責任転嫁。ベビーカーのお母さんはただただ驚いて立ち尽くしている。僕は思わず声をかけた。

「おばちゃん、自転車は車道を走るんですよ」

すると、その女性は「そんなのどこにも書いてないでしょ!」と、信じられないようなことを言い返してきた。いやいや、道路交通法という立派な法律がある。

「とりあえず、謝りなよ」

僕がそう促しても、彼女は頑として頭を下げない。それどころか、

「こんなところでベビーカーを押しているほうが悪いでしょ?」

と、自分を正当化するために必死なのだ。

まお
まお

・・・困った人だね

謝ることへの抵抗が尋常じゃない。まるで、謝ったら命でも取られるかのように、矛先を僕に向けて「あなた関係ないでしょ!」と騒ぎ始めた

結局、通報を受けた警察官が駆けつけ、事故として処理された。しかし、その女性は最後までベビーカーのお母さんにも、警察官にも、そして誰に対しても謝罪の言葉を口にしなかった。

「歩道を歩いていたベビーカーのお母さんが悪い」
「薄暗いのが悪い」
「ベビーカーにもライトをつけるべきだ」

屁理屈をこねては、「自分は悪くない」と訴え続ける彼女の姿は、あまりにも滑稽だった。自分の非を認めることができず、何かを身代わりにして責任を回避しようとする。

ひらめ
ひらめ

なんでなんだろう・・・

責任転嫁の心理:自覚なきサイコパスか、意図的な策略家か

あの女性は、本当に自分が悪くないと信じているのだろうか。

もしそうなら、それはもうサイコパスとしか言いようがない。自分の行動が他者に与える影響を理解できず、共感能力が欠如けつじょしている。もし、彼女が本物のサイコパスなら、もはや関わるだけ無駄だ。

まお
まお

言い方・・・

しかし、多くの責任転嫁をする人々は、実は心のどこかで自分が間違っていると気づいているのではないか。

あの自転車の女性も、きっとそうだったはずだ。心の奥底では、自分が歩道を走ったこと、ぶつかってしまったことを理解している。

だけど、それを認めてしまうと、謝罪しなければならない。賠償責任を負うことになるかもしれない。そういった「損」をすることを恐れて、自分の非を隠すために、必死で他人に責任を押し付けているのだ。

まお
まお

いる・・・

最近知ったことだが、その場にいない人の名前を出して責任を押し付ける人間は、驚くほど多い。

「あの件は、〇〇さんがこうしろって言ったんですよ」
「〇〇さんが言った通りにやっただけなので、私には責任がありません」

といった具合に、反論のしようがない相手を槍玉に挙げる。自分が悪いことを自覚しているからこそ、これ以上ないほど巧妙に、そして卑劣ひれつに、責任を転嫁しようとする。

ひらめ
ひらめ

本当に嫌い・・・

押し付けられた方は、たまったものではない。何の落ち度もないのに、濡れ衣を着せられ、事態の収拾に追われることになる。こんな理不尽なことはない。

理不尽な責任転嫁から自分を守る術

では、理不尽に責任を押し付けてくる人間と、どう向き合えばいいのか。

まお
まお

どうすれば・・・

まず一番重要なのは、そういった人間とは物理的に距離を置くことだ。責任転嫁をする人間は、「ミスを誰かに押し付けることが自分にとって得だ」という歪んだ考えを持っている。そんな人間と深く関われば、いつか必ずあなたも被害者になる。

「この人は信用できない」

そう感じたら、極力仕事やプライベートで関わらないようにする。それが、自分を守るための最も簡単な、そして最も効果的な方法だ。

ひらめ
ひらめ

関わらないこと

しかし、どうしても関わらざるを得ない場合もあるだろう。そんな時は、全てのやり取りを記録し、証拠(エビデンス)を残すことが何よりも重要になる。

  • 重要な話をする際は、必ず第三者を立ち会わせる。
  • 口頭でのやり取りは避け、メールやチャット、LINEなど、履歴が残るツールを使う。
  • 会議の内容は議事録を作成し、共有する。

面倒に感じるかもしれない。だが、そうして集めた証拠が、いざという時にあなたを救ってくれる武器になる。彼らの理不尽な責任転嫁に対して、論理的に、そして客観的に反論するための根拠になる。

まお
まお

・・・確かに

最近の「自己責任論」は、確かに少し行き過ぎていると感じる。人生の全てを個人の責任に帰するのは、あまりに乱暴だ。しかし、同時に、自分の行動に責任を持たず、他人に責任をなすりつける人間もまた増えているように思う。

どちらも、生きていく上で本当に厄介な存在だ。

だが、僕たちは自分の人生のハンドルを、誰にも渡してはならない。ハンドルを握り、自分の道を進む勇気。そして、もし道に迷ったら、自分の責任で立て直し、また一歩を踏み出す覚悟。

それが、僕たちが理不尽な世界を生き抜くための、たった一つの、しかし最も大切な心の持ち方なのではないだろうか。

『自己責任論』は行き過ぎだと思うけど、責任を転嫁する輩も増えてきたと思う。 どっちも面倒くさい。

(了)

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