僕が、青春を謳歌した1980年代後半から1990年代。社会はまだ成熟していなかった。
理想と現実の間には常に裂け目があり、誰もがその裂け目に足を取られながら歩いていた。人々は、どうしてあんなに必死だったのか・・・。欲望に駆られ、全力で生きること以外に道はないと信じていたように感じる。僕は「あの頃は良かった」などとは思わない。でも、振り返れば、現代と比べるとあの頃の方が、多くの人が本気で生きていたような気がする。
僕は昭和50年に生まれ、幼少期を田舎の狭い世界で過ごした。裕福ではなかった。でも、その不完全さこそが僕を強くし、創意工夫を生ませる土壌となった。僕の記憶には、木造の校舎の匂い、夕焼けに照らされた田んぼの水面、土ぼこりまみれで駆け回った友の姿がある。
その世界で僕らは、限りあるものをどうにか手に入れようと、工夫し、時には小さな冒険を繰り返した。
テレビで見た大人の世界は、欲望の塊だった。ノーパン喫茶、ソープランド、ジュリアナ東京・・・。
胸元や腰回りを露出させ、踊り狂う女性たちの姿は小僧だった僕にとって、汚らしくも、同時に憧れであった。街のネオンは眩しく、夜の街角にはギラギラした男たちの目が光っていた。財布の中身を気にしながらも、当時の大人たちは自分の欲望を隠すことなく、まっすぐに生きていらように見えた。あの混沌とした社会で、みんな必死にもがいていたのだ。
金も名声も、容易には手に入らなかった。そのため、人々は必死で働いた。昼は工場で汗を流し、夜は居酒屋で安酒を煽り、休日には友とバイクで田舎道を駆け抜ける。誰もが、「もっと自由に、もっと刺激を」と何かに追われるように生きていた。
そして、努力の美しさは、手に入らぬものがあるからこそ際立つ。現代の僕たちは、何でも手に入るからこそ、欲望を隠す術を覚え、面白みに欠ける生活を送っている。
欲しいものが手に入らないからこそ、人は必死になれる。失敗を恐れる必要はない。うまくやろうとする必要もない。大切なのは、やり抜くことだ。
泥臭く、滑稽であっても全力で夢を追う人々の姿は清々しい。夜の居酒屋で背中を丸め、煙草を吹かしながら次の仕事の算段を立てる男。昼下がりの川原で、釣り竿を握りながら未来を思い描く少年。その背中に、僕らは憧れを抱いたのだ。最近、必死に何かを追いかけたことがあるだろうか。
僕の記憶には、街の音もある。夏の蝉の声、雨に濡れたアスファルトの匂い、冬の吐息が白く空に溶ける瞬間。そうした何気ない日常の中で、僕らは「欲しい」と思うことの尊さを学んだ。欲望に向き合うことは、決して下品でも恥ずかしくもない。むしろ、それが人生の推進力である。自分の欲望と真剣に向き合ってみたい。
現状に満足してはいけない。もっと楽しみたい、もっと良くなりたいという思いを捨ててはならない。欲望にまみれて生きること、それこそが人生を面白くする原動力だ。
僕は、まだ欲しいものだらけだ。あれも欲しい、これも欲しい、もっともっと欲しい。そのために努力を惜しむわけにはいかない。手に入れたいものを心に描く。そして、それを手に入れるために何を犠牲にし、何に全力を注ぐのか。死に物狂いで生きてみる。
人間とは、欲望と感情に支配される存在である。だからこそ、努力、し必死に生きる姿は美しい。昼は汗を流し、夜は夢を描く。その単純な生き方にこそ、人生の豊かさがあるのだ。
君は、いつ最後に心から必死になっただろうか。忘れたとしても、また走り出せばいい。必死に生きることのカッコよさは、いつだって僕らを救ってくれるのだから。
(了)
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