クロスカブ110は、遅い。
残念ながら、これは事実である。言い訳する気もない。幹線道路に出れば、軽自動車にさえ追い越される。坂道では、エンジンが唸り声をあげながら、気合と根性で登る。向かい風の日は、体感速度がさらに落ちる。
でも、不思議なことがある。
乗り続けているうちに「もっと速く走りたい」と思わなくなった。
クロスカブ110は確かに遅い。でも、その「遅さ」が僕を惹きつける。
クロスカブ110は本当に遅い?最高速と巡航速度
消して、速くはない。でも、危険なほど遅いわけでもない。
最高速度は、フラットな直線・無風条件で約80km/h。頑張れば、もう少し出る気もするが、エンジンが唸りを上げる。
快適な巡航速度は50〜60km/hで、このあたりが「気持ちいい」領域だ。加速は穏やかで、0から60km/hまで少し時間がかかる。急坂では徐々にスピードが落ちる。ギアをひとつ下げ、唸るエンジンを酷使して登ることになる。
とは言え、110ccのエンジンを積む原付二種だ。流れには乗れる。幹線道路も走れる。通勤にも使える。でも「流れに乗る」ことと「流れを先導する」ことは、まったく別の話だ。
クロスカブ110は流れに乗るのが精一杯。それは設計の欠陥ではなく、思想の表明である。
クロスカブ110は坂道や幹線道路でつらい?
坂道では、エンジンが唸る。それは本当だ。急坂を荷物を積んで登ると、徐々にスピードが落ちる。後続車がいると、少し気まずい。
幹線道路は走れる。ただし、右車線は似合わない。クロスカブ110は、左端をゆっくり走るバイクだ。それが正しい姿だと、乗り続けるうちに分かってくる。
「後悔しないか?」と聞かれることも多い。ただ、僕は後悔していない。
後悔するのは、クロスカブ110を「速いバイクの代替品」として買った人だけと思う。
通勤にも使える。使えることには使える。実際、僕も使っていた時期がある。
でも「効率よく移動する道具」として考えると、このバイクの良さは半分以下になる。例えば、スタートダッシュで他車を置いていきたいとか、すり抜けをして少しでも早くなどと考えている場合は、クロスカブは向いていない。でも、気軽さや駐輪場での取り回しなど、他のバイクよりもラクな部分がある。
それでもクロスカブ110が楽しい理由
一人で走ることが苦にならない人ほど、このバイクにハマる。
60km/hで走ると景色が見える。
高速道路を走るバイクでは、見えない景色が見える。速いバイクの速度という暴力が、周囲の全てを背景に変えてしまう。でもクロスカブ110は、世界を「見える速度」で走る。道端の自動販売機、畑の端に咲いた花、遠くの山の稜線——そういうものが、視野に入ってくる。
春から夏にかけての売れた果物の匂い。冬の早朝、手袋をしても冷える指先。雨上がりのアスファルトの湿った臭い。コンビニの駐車場で飲む、缶コーヒーの湯気。夕暮れの空が、オレンジと紫の間で迷っている瞬間。
これらは全て、「速いバイク」で体験するはできないか、体験しても記憶に残らないと僕は思う。クロスカブ110は、記憶に残る速度で走る。
ツーリングも、下道がいい。高速には乗れないが、それが逆に正解だと思っている。
高速道路は「移動する場所」だが、下道は「走る場所」だ。クロスカブ110と下道ツーリングは、最初から組み合わせとして設計されている。
クロスカブ110は「余白」を走るバイクだ
現代人は、効率を求めることを正義にしてしまった。
移動は目的地への手段に成り下がり、食事は栄養補給になり、休日は「効率的に休む日」になった。タイパという言葉まで生まれて、人は時間を消費することへの罪悪感を持つようになった。
クロスカブ110は、その感覚に小さく抵抗する乗り物だ。
遅い。だから、急げない。急げないから、遠回りができる。遠回りをするから、寄り道ができる。寄り道をするから、予定にない何かに出会える。
クロスカブ110は、間違いなく非力だ。でも、このバイクが与えてくれる「余白」は、どんな高性能車にも敵わない…と僕は思う。
孤独が好きな人に向いている気がする。誰かと競う必要がなく、目的地にいつ着くかも重要ではなく、ただ走ること自体が目的になる——そういう乗り方が、クロスカブ110には似合う。
まとめ|クロスカブ110は遅い。でも、それでいい。
クロスカブ110は速くない。坂道では唸るし、幹線道路では追い越される。ツーリングでは、時間がかかる。それは間違いない。
でも、このバイクが問いかけているのは、そんなに急いで移動する必要があるか、速さが本当に必要なのかということだ。
自分のペースで走る自由。急がなくていい時間。それを手に入れたいなら、クロスカブ110は最高のパートナーになる。
このバイクを選んだ人は、速さを諦めたのではない。速さより大切なものを、見つけた人たちだ。
(了)



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