人生には「生きがい」は必要なのか。という疑問が、最近僕の頭の中で何度も浮かんでくる。正直、僕は生き甲斐の概念を詳しくは知らない。でもなんとなくは聞く。
僕の中では、純粋無垢で世間を知らない若者だけが語る言葉か、あるいは成功した人が、自分の人生を肯定的に使う便利な言葉で、少なくとも、僕のようなどこにでもいる中年男性とは接点がない。
なので「あなたの生き甲斐は何ですか?」と聞かれたら困惑してしまう。

それは寂しい・・・
なんて話をすると、「生き甲斐」を持つと人生が楽しくなるとか、趣味が生き甲斐になるとか…笑顔の女性がインチキくさいパンフレットを持ってよってきそうな気がする。
趣味を持とう。夢中になれることを見つけよう。
たぶん間違ってはいない。でも、僕は趣味と生き甲斐は別物だと思っている。
実際、「趣味がない」と悩む50代男性は少なくない。でも僕は、趣味と生き甲斐は少し違う気がしている。
ロードスターは好きだし、クロスカブで出かける。ブログを書くのも嫌いじゃない。休日が待ち遠しくなることもある。でも、それが生きる理由かと聞かれると、少し違う気がする。
もしロードスターが壊れても生きていくだろうし、ブログを書くのをやめても明日は来る。
だから僕には、趣味が生き甲斐だとは言い切れないのである。
「生きがい」とは
そもそも、僕のこれまでの人生で触れることのなかった「生きがい」という言葉の意味を調べると
生き甲斐とは、生きるための喜びや活力。そして、生きてて良かったと思える価値や心の張り合い。
らしい。他にも、生きる価値みたいな説明もある。

そうだね・・・
つまり、朝目覚めて「今日も生きていて良かった」と思わせてくれる何かのことらしい。
そう考えると、案外ハードルは低い。低いはずなのに、なぜか「生きがい」という言葉になると急に壮大な話になる。
ぶっちゃけた話、僕はこれまで、自分が生きる価値なんて考えたこともなかったし、考えたところで生き甲斐になるかは不安である。さらにいうと生きるための喜びや生きてて良かったと思える瞬間、さらには、明日も頑張ろうと思う習慣は、結構日常に転がっていて、それが生き甲斐か聞かれると疑問だ。
例えば、パンチラ。生きてきて良かったと思えるし、明日も頑張ろうという活力にもなる。でも「僕の生き甲斐はパンチラです」と言った時点で変態のレッテルを貼られる。というか、生き甲斐がパンチラなんて恥ずかしくて言えない。

変態・・・
でも、そこで少し疑問が残る。もし生き甲斐が「生きる喜び」や「人生の張り合い」のことならパンチラでも良い気がする。なのに、僕の生き甲斐はないと答えるのか…。
→ 『パンチラ』という嗜みについて真剣に考えてみた | 男が興奮する理由
生き甲斐は必要か?
パンチラは極端な例としても、晩酌でもいい。休日の二度寝でもいい。コンビニで新作アイスを買うことでもいい。ロードスターで屋根を開けて走ることでもいい。
生き甲斐という言葉になると、急に社会は立派さを求め始める。
誰かの役に立つこと。夢を追うこと。仕事に情熱を持つこと。
そんな模範解答ばかりが並ぶ。でも、本当にそうじゃないと僕は思う。というか、
生き甲斐がない人より、生き甲斐を探している人の方が苦しそうに見える。
「自分には生き甲斐がない」
「何か見つけなければ」
「人生を充実させなければ」
そう考え始めると、今度は生き甲斐探しそのものが義務になる。それは何だか本末転倒な気がする。生き甲斐というのは、探し回って見つけるものではなく、気づいたら人生の中に転がっているものなのかもしれない。
生きがいがなくても人は生きる
少なくとも僕は、これまでの人生で「これが生き甲斐だ」と意識したことはない。何かに夢中になったことはあるし、楽しいと思ったこともある。でも、それを生き甲斐と思ったことはなかった。
というか、何のために生きてきたかも定かではない。受験戦争を戦い抜いて、その先にあったのは就職氷河期。そんな時代に社会に放り込まれ、好きとか嫌いとか関係なく、生活のため働いて、気がつけば50代になっていた。
そもそも僕たち氷河期世代は、生き甲斐を探す余裕すらなかった気がする。
→ 就職氷河期世代の僕たちは、なぜ普通の人生を送れなかったのか
その間、「生き甲斐を見つけよう」なんて考えたことは一度もない。なんというか、目の前のことを片付けていたら、ここまで来てしまったという感じ。
気づけば友達と呼べる人も減っていた。そう考えると、生き甲斐より先に孤独について考える人の方が多いのかもしれない。
それでも生きて来れたし、それなりに楽しんできたと思う。むしろ、生き甲斐がないことを気にし始めたのは最近。きっと、これからの人生の行き先がなんとなく見えてきたからだと思う。
でも考えてみると、生き甲斐がないことよりも、「生き甲斐を持たなければならない」と思い込む方が苦しい気がする。
まとめ
だから僕は、人生に生き甲斐は必ずしも必要ではないと思う。少なくとも、生き甲斐が見つからないからといって焦る必要はないと思う。
晩酌でもいい。休日の昼寝でもいい。ロードスターでもいい。パンチラでもいい。
人には堂々と言えなくても、自分が少しだけ機嫌よく明日を迎えられるなら、それで十分なのかもしれない。
生き甲斐という立派な言葉を探すより、今日ちょっと楽しかったことを覚えておく。
50代になった今は、そのくらいがちょうどいい気がしている。
それでも時々「俺は何のために生きているんだろう」と考える夜はある。でも、その答えが見つからなくても、とりあえず明日は来る。
今のところ、それで十分だと思っている。



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